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仏教に学ぶ生き方、考え方「笑って堪えて許して流す」

 どこかの偉い人が、言葉を言い間違えて「大きな問題」になることがあります。

 確かに政治の世界で「センシティブ」な問題であればあるほど「それはさすがにないだろう」という意見もあるのはわかります。

 でも私は個人的にその人のことを、むしろ「人間らしいな」と思うのです。

 ちゃんと認めて謝っているわけですし、むしろを齢を重ねてからも日本を背負って立とうとしている姿に「尊敬」さえ覚えます。

 人間は誰でも「間違い」があります。

 それが目立つか目立たないか、また悪質か天然かの違いがあるだけです。

 私も数々の間違いをしてきました。

 中には名前を読み違えたり、時間を間違えたり、忘れていたりすることもあり「クレーム」をいただくこともあるのです。

 でもその一方で間違いをする度に、「あ〜私はやっぱり凡夫なんだ」と妙にホッとするのです。

 そしてそういう私を阿弥陀様は笑いながら「もれなく救わせていたくから安心していいよ〜」とおっしゃってくれているように思うのです。

 そして自分も間違いをして「それでも救われる身なのだ」と感じられるから、人に対しても「同じように」考えられるのだと思うのです。

 逆に人の間違いを「糾弾」する人は、自分がもし「間違えたとき」にどのように思い行動するのでしょう?

 間違いがあっても、お互い「さらり」と流すことで余計な苦しみを背負わず今を生きていけたら、きっと皆に幸せが訪れるのではと感じるのです。


☆今日の一句☆

 間違いは
    誰でもあるよね
          凡夫だね

 

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