仏教に学ぶ生き方、考え方「人知れず悩みを抱えているということ」

 仏教に携わっていると様々な「悩み事」を相談されることがあります。

 お墓や納骨の相談、仏壇のお荘厳のこと、また家族や親戚のこ不幸のことなど「多岐」に渡ります。

 そうやって相談していただくと、こちらも「誠心誠意」お答えすることができます。

 でも、世の中には悩みを打ち明ける人がいない、また「できない」人も大勢おられます。

 でも考えてみれば、それは至極「当然」のこととも言えます。

 「簡単に」人に相談できたら、悩み事にはなりませんよね?

 人に「言えない」から、一人で悶々と悩むわけです。

 それに対して、なるべく悩みを「相談しましょう」と言う人もいますが、私はそうは思いません。

 無理に相談という「弱み」を人に見せる必要はないのではと思っております。

 そもそも悩みが「どうして」悩みになっていくのでしょう?

 中にはそんなことで悩まなくてもいいのにと思うようなことでも、当の本人はとても「真剣」に悩んでみえます。

 そういう様子を見ていると、悩みは「悩むから」悩みになるのだと感じます。

 病気や老いは避けることはできませんが、悩みはそれとは性質が違い、別に「悩まなければいい」だけのことです。

 なのになぜか悩みが湧いてくる。

 なぜ悩みになるのか、それを「教えてくれる」のが仏教、特に真宗の教えではないかなと感じ始めています。


☆今日の一句☆

 悩み事
   悩まなければ
        ただの事

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