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仏教に学ぶ生き方、考え方「葡萄の気持ち」

 先日、今年初めての「葡萄狩り」に行ってまいりました。

 八月下旬の今が「最盛期」ということで、沢山のお客さんが来られておりました。

 巨峰は予約で満席ということで、今回は「シャインマスカット」の葡萄狩りをさせていただきました。

 受付を済ませると「マイクロバス」で近くの農園まで向かい、そこでハサミとバケツを渡してもらいます。

 葡萄畑にはこれでもかと身をつけたシャインマスカットが、ずらりとぶら下がり並んでおりました。

 どれも充分に大きいのですが、さらに大きそうなものを「一房」選び、ハサミを入れます。

 ずしりと手に重みを感じながら受け止めてさっそくいただきました。

 今回は二人で行ったのですが、一房食べ終える頃には、二人とも「お腹いっぱい」です。

 せっかくなので元を取ろうと「もう一房」取ろうとしますが、身体がなかなか動きません。

 大きいのを取れば食べなければいけないという「プレッシャー」もあります。

 なので端のほうの小さめの房を切り取って、なんとか口に「押し込め」ました。

 そして帰りのバスの中では、お腹が揺られて痛くなるくらいでした。

 考えてみれば葡萄は他に食べてもらうために身をつけるわけです。

 食べてもらうことにより「種が遠くまで運ばれて、種が栄える」ことになる。

 つまり「利他」をすることで「自利」にもなる。

 そんな葡萄からの「布施」を存分にいただき、感謝の気持ちで葡萄狩りを楽しませていただきました。


☆今日の一句☆

 利他ありて
     葡萄の房を
         いただける


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