仏教に学ぶ生き方、考え方「苦しみはどこからくる?」
「苦しみはどこからくる?」
そう聞かれたら皆さんはどう答えますか?
たぶんほとんどの方は、「どこか外からやってきて心の中に押し入ってくる」と思っておられるのではないでしょうか?
平和で穏やかだった自分の心の中に、予期せぬ出来事が舞い込んできて、それによって苦しい気持ちに塗り替えられてしまう。そう考えると、なるべく予期せぬ出来事が入ってこないように、絡んで来ないようにと心の壁を高くし、見て見ぬふりをするようになりますよね。
でも本当にそうなのでしょうか?
実は仏教では全く逆の発想をします。というのは「苦は自分自身が作り出すものだ」と捉えるのです。
ちょっと何言ってるかわかりませんよね?でもよくよく考えてみると、まさしく苦は自分の中にあるのです。
例えば誰もが愛する人と、いつまでも一緒にいたいと思うでしょう。そこから得られる安らぎと温かさは、とても魅力的です。なので嫌われないようにプレゼントを贈ったり、こまめに連絡したりします。
でも、心は不思議なもので、そういう努力に構わず、あれよあれよという間にコロコロと変わってしまいます。愛する人の心が一度冷めだしたら、もう元に戻ることは殆どないでしょう。 いつしか、目を合わさなくなり、連絡も少なくなり、会うのを嫌がるようになり、愛する人が離れていくことを初めて実感します。
そして、そういうときには思い出と悲しみが同時に心に襲いかかり、とても苦しい気持ちになります。そして、その原因が自分以外の誰かに向かってしまうのです。例えば新しく現れた彼氏、彼女に向かったり、愛する人自身に向かったり。はたまた引き付け続けられなかった自分を産んだ親や、周りの環境のせいにするかもしれません。
でもよくよく考えてみると、そもそも「人の心を自分に留めておく」ことなど、思い通りにできる人などどこにもいません。そういう思い通りにならないことを思い通りにしようとすることがそもそも無理なのです。それをあえてしようとする、そこに苦しみが出てくるのです。
つまり「思い通りにならない」ことを「思い通りにしようとする」から「苦しみ」が生まれます。逆に「思い通りにならないこと」を「思い通りにしようとしない」ことで「苦しみ」は生まれない、または消えていくのです。
先ほどの例で言えば、相手の人を「自分ではない誰かとでも幸せでいてほしい」と大きな愛で包み込むか、「そういう運命だったのだ」「きれいな思い出として心の底にしまっておこう」と思うかすれば、気楽になることができます。つまり自分の心の有り様で、苦しみは見事に消えるのです。
苦しみはどこからかくるものではなく、自分が作り出し、それに自分が苦しめられているのだと気づけば、そこから遠ざかることも、意外と簡単にできそうですよね☆
☆今日の一句☆
作ってる
自分の心で
苦しみを
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