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仏教に学ぶ生き方、考え方「浦島太郎は何を伝えたかったのか?」

 やってきました、童話シリーズ第二弾です。前回は三匹の子ぶたでしたので、今回は日本童話の代表作「浦島太郎」を取り上げたいと思います。

 もうあらすじはご存知だと思いますが、簡単に振り返ると、浜辺でいじめられていた亀を助けた浦島太郎さんが、亀の背中に乗って海の底にある竜宮城に行きます。

 そこで乙姫様のおもてなしを受けて、時の経つのも忘れて楽しく過ごしていましたが、ある時、ふと我に返って帰りたいと思い、乙姫様に気持ちを告げます。必死に引き止められますが気持ちが変わることはなく、乙姫様から決して開けてはいけないと言われた玉手箱をお土産に持たせてもらい、元の世界に帰ります。

 浜辺に着いた浦島太郎は、風景や人々がすっかり変わっていることに驚き、持っていた玉手箱をついつい開けてしまい、中から出てきた白い煙を浴びておじいさんになってしまったというお話です。

 この話を聞いて、皆さんはどう感じましたか?この話を聞く度に「どうして浦島太郎は亀を助けたのに、最後はおじいさんになってしまったのだろう?」と思ってしまいませんか?良いことをしたのに、最後は失望してしまうなんて、ちょっと酷ですよね?

 そもそも童話にはなにかのメッセージが隠されているはずです。「勧善懲悪」とか「正直者は得をする」とか、「情けは人の為ならず」とか、そういう「作者の思い」が練り込まれているはずです。だとしたら浦島太郎にはいったいどんなメッセージが隠されているのでしょう?

 まず、前半の亀を助けて竜宮城で乙姫様のおもてなしを受けるまでのくだりは、とてもわかり易いですよね。よいことをしたらよい結果が訪れる、まさに仏教で言うところの「善因善果」になります。ここから親切にする、情けをかけて慈悲の心で接する、そういうことが大切ですよというメッセージが伝わってきます。

 ところが後半は、前半とは全く違う展開になります。浦島太郎の心は、将来への不安や家族や友人への思い、そして楽しい毎日の中に潜む「空虚感」で満たされていったに違いありません。でも仏教的に解釈すれば、まさに「人生の本当の意味を探し始めた」と言えるのではないでしょうか? 

 さてここで気になることですが、果たして「浦島太郎は幸せだったのか?」ということです。確かに竜宮城でのひとときは、夢のようなひとときで幸せを噛みしめていたでしょう。美味しいごちそうに、楽しいエンターテインメント、そして乙姫様の愛情も存分に味わって、まさに幸せの絶頂だったのではないでしょうか。

 でも浦島太郎はその日々を捨てて、もとの世界に帰ろうと思い立ちました。なぜそう思ったのかは、「浦島太郎のみぞ知る」ですが、きっとそういう日々の中にあっても何か「満たされない心」や「不安の心」が溢れてきたに違いありません。そして、竜宮城での楽しい日々を捨ててまで、その問題を解決したいと思ったのではないでしょうか?

 そうして地上に帰った浦島太郎は、玉手箱に封印されていた「真実」を知ることになるのです。それは、「人生は短く儚い」「人生は孤独である」という真実です。

 私は浦島太郎の人生は、なんだか他人事には思えません。楽しいことをしたり美味しいものを食べたりしたいと誰もが思うでしょうし、家族や友人、また周りの人から愛されて認められていたいとも思うでしょう。でもそこから得られるものは実は儚いということに、人生の最後になって気づくこともあるのではと、、、。

 そうして後悔する前に、生き方や考え方をいつも心に留め、今このときを生かされていることに気づき、感謝する生活を心がけていく、そのことを浦島太郎は身をもって教えてくれているのではないでしょうか。

☆今日の一句☆
 カメにのり
     探しにいこう
          真実を



 

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