見出し画像

NOTE連続投稿1年!今の思いを語ります💡


2020年の3月7日からスタートしたnote『まさとし』

今日でちょうど1年!365日連続投稿です。

最初の記事のビュー数、スキ数は8!





1年経っても8です笑





そんな小さな小さなスタートでした

それが本日365日連続投稿となりました。

実はnoteを書き始めた時が起業へ向けて実際に行動した第一歩でした。

今でこそ無事に起業をして柿川亭の話を書いていますが、当初は起業から程遠い、地方の高校の教員でした。しかも卒業生を出した直後でした。

誰から勧められた訳でもなく、ただ自分から発信を続けることをやってみることに。

SNS発信のように「今までやってなかった事」を継続して続ける事で自分自身の成長に繋がると思ったからです。

思えば大学受験の時にひたすら志望理由書とか小論文を書いていたときにこなしたインプットと考察が自分に一番刺激を与えていたという経験がありました。

文章を書くことが自分の為になるという経験があった自分にとって文章のSNSであるnoteを選んだのは必然だったのかもしれません。

最初は学校に関することを話したり、社会について、教育について、考え方について書いたりしていました。

有名人でも何者でもない自分なんぞが書いた文章など誰が読むんだろう・・

それでも最初は自分に問いかけるように文章を書き続けました。

「偉そうなことを文章に書いている自分自身はどうなんだ?」

そんな意味合いが強くて、自分に毎日問いかける文章でした。

そんな事を毎日毎日描き続けていたら、突然コメントをいただきました。



「共感します」





というコメントでした


自分がイライラした事について書いた文章だったのですが(笑)

でも、自分の発信が日本のどこかの誰かに届いているんだって感じて凄く嬉しかった記憶があります。

そこから記事を読んでくださるクリエイターの方に引用してもらうこともありました。

サポートを初めて頂いたとき、「え?お金もらっていいの??」って思ったくらいで、サポートしていただいた100円が画面に表示されるのを見て不思議な感情と嬉しさが込み上げていました

noteで繋がった他県の先生方、教育者の方々の発信は今も楽しく拝見させていただいています。

noteを書き始めてからと同時くらいに「コロナがヤバイ」となってきていて、学校は休校になりました。




「日本は、世界はどうなるのだろう?」

「新しい世界がやってくる。これまでの常識が通用しない新しい世界が・・・」




そんな記事をその頃は沢山読みました。




「新しい世界の到来」


「テクノロジーで創り変えられる世界」





私、影響されやすいんで大いに影響を受けました笑





楽しそうだって思うことも沢山想像しましたが、一方でこれまで出来たことはこの先ずっと出来なくなってしまう。



未来ってそんな交換条件みたいになるのか?とも思いました。



それに今の世の中、テレビ、新聞、ネットニュース、どのメディアも夢も希望も無い話が沢山溢れてるなって・・・

不安を煽る記事とか、誰かの不祥事を叩く記事って閲覧数が稼げるからという理由で広がるんだなって。

これは、もはや社会悪のように感じます。




特に新しい事に挑戦するにはそう言った雰囲気を浴びせられます。



自分が未来のある若者たちにどんなメッセージを送れるんだろう。

私は新しい事を始める若者の背中を心の底から押せるのだろうか?

そこから、私は自らの起業に「挑戦する事を発信して、誰かの背中を押す」という意味を持たせる事にして、退職を宣言しました。

教員を退職する事を宣言は、沢山の人に心配と驚きを与えたようです。




「どうした?」




「何かあった?」




「何で?」





何度も何度も説明しました。

学校は学校でコロナで授業も行事もままならない状況でありました。

私は退職前の最後の仕事として生徒の連絡網のネットワークを整備しました。

これまで電話や学校ホームページの掲示板による情報で生徒は学校の情報を得ていました。

そもそも学校にいつ来れるようになっていつ行けなくなるかもわからない学校なんてこれまでの歴史でもなかったことです。それをネットワークで連絡を取れるようにしました。課題もそこでやりとり出来る様に整備しました。

実際はそれを活用してくれる先生と、そんなもの必要ないと言って頑なに拒否をした先生がいましたが・・・

そして同時進行で起業に向けて物件を探し始めました。

起業の第一歩は





「飲食店を作る」





そこに決めました。

コロナ禍で大変な業態なのはわかっていましたが、実際の現場はどれくらい大変なのかを体験しないとわからないし、やれることはあるでしょって思いました。

そして、その中に飛び込んだ時に自分はどう成長できるのか?

そんな冒険心が働いてコロナというブレーキは私には効きませんでした笑

それに挑戦するテーマとしては申し分無いって思います。

「みんなが辞めておけと思う事に挑戦した方が応援されるし、頑張れる」

とにかく、「自分ならやれる」そう自らをマインドコントロールしていました。

さらにその挑戦に選んだ物件は築50年のボロボロの建物。





重ねて大変な道を選択・・・




今考えると、相当無謀だったなって思います笑





「この建物を蘇らせてお店にしてやる!!!」






と思って、掃除から始めた店舗の準備。でもいくら掃除をしても汚れが無くならない。

1日中いや1週間まるまる掃除をしても掃除は終わらなく、内装に手をつけるなんて到底先の話・・・

果たして、お店をオープンさせる事って出来るんだろうか・・・

そもそも、その頃は資格も無ければ設備を整えるための知識も無い。



道具もない





もし、建物に欠陥があって飲食店営業の許可が出なかったら全てがパー





一人でできることの限界も感じました





そこからSNSを頼りに古民家再生をやっている教え子に連絡を取り、協力してくれないかという相談をしました。

Teamりのべるとの出会いです。

起業に際して資金も乏しく、限られた予算の中で改装をしなければならない私に寄り添ってくれて一緒に手作りで店舗作りを行う事に!!

資材はホームセンターで購入。

照明や水道設備など部品はネットで一つ一つ購入。

全部一からの作業は果てしない道のりでした。

時には「次の作業日までに壁を壊しておいて」と無茶振りをされ、それに応じる場面も笑

りのべるのみんなとお店づくりをした事はもう、ずっと忘れられない貴重な経験だったなって思います。

最大の関門だと勝手に思っていた保健所と消防の審査も無事に通り、いざオープンへ!!

最初は一緒に働いてくれる人もいなくて、家族や友達、仕入れ先の農家さんまで引っ張り出してお店を手伝ってもらう事に。

材料の仕込不足、食材切れ、タイマーを茹でる・・・




オープン初日から沢山の失敗をしました。



この事はnote×baseの社長の対談のyoutubeでも取り上げられたくらいにして😅


余裕が何も無く、営業の流れを掴むまで物凄い疲労と不安との戦いでした。

めちゃくちゃ評価してくれる人もいれば口コミサイトで修行もしていない人間がやるラーメン屋なんて駄目だと悪評も書かれました。

誰かもわからない人に心の無い言葉をネット上に書かれて傷つくこともありました。

言い換えれば話題性があったと前向きに捉えていますが。

そんな中、私の挑戦を応援してくれる方からの紹介でテレビの放送で2局取り上げていただきました。



「コロナ禍で飲食店を開業した元高校教師」




反響は凄まじく、テレビ放送の翌日からは大盛況。

ありがたい事に連日多くの方にお店に訪れていただきました。

オープンしてからを振り返ると失敗もあったけれど順調な滑り出しだったようにも思います。

ただ、コロナが深刻になり、雪国として避けては通れない大雪が襲いました。

アルバイトの人は電車が止まって出勤できない。

雪をかいてもかいても積もり続け、お客さんも一気に減少・・・



対策を練って駐車場を用意




お客さんにとっては雪の中でも来店出来る様になって、集客に繋げることはできましたが、雪が降る前のようにはならず、冬の長い戦いが始まりました。

水道光熱費を節約したり、シフトを見直したりして売上が上がらなくても利益を確保する方法を模索しました。

効果はあったものの、それでも雪の季節を甘く見積りすぎていたなと反省するところが多いです。

それに加えて連日のコロナの報道で、街は冷え込んでいます。

駅周辺の賑わいは全く無く、人はポツリポツリ。

少人数で飲みに行くことはあっても宴会はない、大きなイベントもほとんど無い。

まずは自分の店の事と思ってもいますが、他のお店の状況も気になる所。

見えないことは多いですが、どこのお店も苦しいんだろうなというのは売上として出る数字を他店舗にも照らして客観的に見るからこそなんとなくわかります。

閉店するお店、休業するお店、卸業者から聞く他のお店の状況など、良い話を聞ける事はほとんどないです。

だからと言って諦めるわけにもいきません。対策をしながら、行動して打開策を探ります。

柿川亭としての対策はテイクアウトでは無く、通販。

ギフト用の商品を販売して売上の補填を狙いました。

オンラインショップBASEを使って通販を始めました。


通販の出だしは好調!!



遠く離れている友達や、このnoteを通じて私のことを知ってくださった方など、沢山の方に注文をしていただきました。

注文の時に備考欄にコメントをくださる方の「頑張れ」のメッセージにどれだけ救われたでしょうか。

でもそれも長くは続きません。

1月、2月と月が進むにつれて通販の販売数も減少。

色んな手段で販売促進をしているのですが、伸び悩んでいます。

通販は難しいです…

時折入る注文は売上の補填には繋がりますが、肝心のお店の方も冬前にはまだ戻りません・・・

駐車場代、灯油代などが経費として追加でかかるので経費の支払いでやっと。

最近はお金の問題で毎日が不安です。

コロナ禍での飲食店経営の難しさを今は心の底から感じています。

雪が溶ければ、春になれば!と言い聞かせながら必死に前を向いています。




コロナが終われば!!




が一番ですが、まだまだ遠い未来のように感じます。

厳しい戦いは今なお続いています。

と、今日という日にもっとハッピーな事を書けたらよかったのですが、今はそんな感じで苦しんでいるので、そこをしっかりと記事にしようと思いました。

振り返れば、「挑戦する姿を見せたい」「失敗する姿を見せたい」「もがいている姿を見せたい」という気持ちで日々を綴っていたのですが、いつからか良かった事だけをピックアップする事が多くなっていました。

沢山応援してくれる人が増えれば増えるほど、「おかげさまでうまくやれています」って言わなきゃって思ってしまっていました。




でも、それは違うのかな・・・




最初のスタートはもっと「ヤバい、ヤバい」って素直に言っていました。

だからこそ色んな方が手助けをしてくれたんですよね。

そして、そんな中で何とかもがいている自分に物語があったような気がします。

なので、一度原点に戻って、そういう姿を見せながら挑戦していくという事をもっと表現していくべきだと改めて思いました。




公務員を辞めてコロナ禍で飲食店を始めて後悔していますか?




と言われたら今どう答えるか?

先日、3人目の子どもが産まれたばかりです。

お金に限って言えば公務員でいたほうが良かったかもしれません。

家族には心配と迷惑をかけています。

そこに関してはめちゃくちゃ申し訳ないです。

はい、後悔してます。(正直)






でも、後悔だけじゃ無くて、得たものも大きいです。そしてこれから得られるであろう物も大きいのでは無いかって思ってます。

毎日必死にもがいて行動して、うまくいったり、行かなかったり。そして発信する。この習慣を1年続けただけで、これまで過ごしてきた日々の何倍も実りがありました。

沢山の人と出会えたり、昔の仲間と再開できたり、挑戦している人が産む苦しみをわかるようになりました。

これは教員をやっていたら無かった事だなって。

教員を続けていて、いつからかお腹いっぱいになっていたんだと思います。

そして先生という仕事を退職まで勤めたとして、届くところの限界値が薄っすらと見えたような気がしていました。


そこを変えて挑戦を始めたら、止まっていた時計が動き出したような気持ちになりました。

動き出したら仲間が増えた。そして本当の意味で世の中を知れた。

これは私の1年間の大きな大きな収穫でした。

と言ってもまだ1年です。

柿川亭に関してはまだ5ヶ月くらい。オープンしてから半年も経っていません。

ようやく雪が溶け始めました。春が目の前に来ています。




まだまだ頑張れる!!





負けない!!





ピンチを乗り越える!!!





そう言い聞かせてまだまだ挑戦を続けていきたいと思います。

それに、そもそも柿川亭を作ることだけで私の挑戦が終わりではありません!!

もっともっと、やりたい事はあります!!

「長岡を盛り上げたい」「街づくりに関わりたい」

このテーマは今も変わっていません。





次の1年へ!!

挑戦を進めていきたいと思います!!








でも連続投稿にこだわるのも辞めようかなって思ったり、アカウント名も変えたりしようかなって思っています。

そこらへんも変化させていくので、今後ともよろしくお願いいたします。

まさとしでした😊🙏

---------------------------------------------------------
過去の記事をマガジンにして販売しています!










いただいたサポートは挑戦に投資します! 挑戦している人を応援して、自分も応援されたい!