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読書離れより「読書離れさせ」が恐ろしい

今回、読書離れより「読書離れさせ」が恐ろしいという話にしようと思います。

読書好きの読書離れは時間が理由

読書離れは、読書好きの人間であれ、読書嫌いの人間であれ、生じます。

「読書量は減っている」が69.1%です。(問8)
元々は読んでいたけれども減ってしまっている、という人間が多いのです。

読書量が減っている理由としては、一位に「情報機器で時間が取られる」、二位に「仕事や勉強で読む時間がない」があります。(問8付問1)

読書好きの人間でも「中々時間が取れないから」という理由で、読書離れが生じてしまうのです。

また、読書量が増えている人はその理由として、「時間に余裕ができた」を挙げています。
読書量が増えた人の44.3%もです。(問8付問2)

これは、時間的制約のようで時間的制約でなく、心理的制約を原因として生じます。

「読書の必要性を強く感じる」ことをきっかけに読書量が増えている人もいるからです。
読書量が増えた人の37.1%もです。(問8付問2)

時間的制約のように感じているものであろうと、「時間を割いている場合なのかな」と思うこと、或いは、思わさせられていること、により生じる心理的制約が原因なのです。

ゆえに、「中々時間が取れないから」ではなく、「中々時間を割いている場合だと思えないから」読書好きの人間にも読書離れが生じているのだと思います。

読書嫌いの読書離れも時間が理由?

読書嫌いの人間の場合には、元々読書離れです。

ここで重要なのは、元々読書嫌いの人間でさえ、時間を理由に挙げるということです。

「そんな時間をかける行為を、なぜしなくちゃいけないのかと。忙しくて本を読んでる場合じゃないですよ」

そういうAさんに「では、暇なときは何をしてるんですか?」と聞いたら「ネット動画を見るか、ゲームをしていますね」との答えが返ってきました。

読書好きの僕からすると、ネット動画を見たり、ゲームしたりすることのほうが、よほど時間がかかる気がするのですが……。

上記リンクより筆者引用。

「忙しくて本を読んでる場合じゃない」と言っていながら、忙しくない時でも読まないのです。

けれども、Aさんの2番目の理由は時間です。
本当は別の理由があっても、時間を理由に挙げてしまえるということなんです。

まず、読書が「つらい」ということ。Aさんは「もし楽しいんだったら、そりゃ自分だって本を読みます」と言っていました。

「でも、活字を読み進めるのが、苦痛なんですよ。そんな苦行を、なんでいちいちしなければいけないのか、意味がわからないです」

彼はそう言っていました。その後いろいろ話を聞くと、要するに読書という行為を、勉強という行為の延長として捉えていることがわかりました。

同上

1番目の理由である、「楽しくない」、「苦痛」、「苦行」というイメージが先にあります。

Aさんは時間を2番目の理由として挙げていますが、1番目の理由を補強するために持ち出してきたということでしょう。

ゲームをする時間はある人ですからね。
嫌いな読書ではなく好きなゲームに時間を費やすほうが良い、というのが根底にあって、そこから「読書をする時間はない」になるのでしょう。

読書嫌いの場合においても、時間的制約のようで時間的制約でなく、心理的制約なのです。

恐ろしいのは「読書離れさせ」

読書離れは、読書好きにしろ、読書嫌いにしろ、(時間的制約のように感じられている)心理的制約を取り払えば解決できそうです。

恐ろしいのは「読書離れさせ」です。

「読書なんかより」と他人にまで言い出す人間は「自分の読書離れ」を自己正当化して、さらに、「他人の読書離れさせ」を狙っています。

ゼロ冊の人間は承認欲求や自己愛性の権化が多い傾向があるため、「読書なんかしない自己」にも承認や肯定を求めるからです。

読書なんかしないけど読書する奴より優秀だ。
読書なんかよりも何々をしているから優秀だ。

そういう歪んだ有能感や自己愛が他者への介入になって「他人の読書離れさせ」を生じさせます。

読書なんかより何々をしろ。

この「何々」にはゼロ冊の人間がしていることが入ります。ゼロ冊の人間の承認欲求から口出しをしているからです。

読書なんかしなくても優秀な奴はいる。

読書をしない優秀な奴とは誰のことですかね。
本当に、誰のことなんですかね。
ゼロ冊の人間は他人を引き合いに出してきますが「自分が優秀だ」と言いたいのを隠しているのが丸見えなんです。(隠れていないんです。)

「読書離れさせ」は読書離れの人間が自己を肯定したいがために口出しをしているだけですから、他人の読書とは一切の関係がありません。

「読書離れさせ」が容易になった

「読書離れさせ」は、読書とは関係がないため、ネットが普及するよりも前からあったと私は推察しています。

そんなことより手を動かせ。
そんなことより足を動かせ。
そんなことより汗をかけ。
そんなことより酒でもどうだ。

いずれも「読書離れさせ」に有効です。

ただ、ネットの普及によって「読書離れさせ」が容易になったのも確かではあります。

「読書離れさせ」は、承認欲求や自己愛性により生じるので、情報収集能力に自信過剰な人間が、「とにかくネットがある」と放り投げ易くなっているのです。

「とにかくネットがあるおじさん」の出現です。

「効率的な情報収集が出来れば読まなくて良い」と言う人間には効率的な情報収集はありません。
(読まないから。)

けれども、承認欲求や自己愛性から生じるので、「効率的な情報収集が出来ると思いたい」人間は「とにかくネットがある」と言い放てば、極めて都合良く賢しらぶれることになります。

賢しらぶっているだけで、賢明ではありません。
小手先の技術でしかないので「小賢しい」です。

但し、「もっと効率的にしなければならない」と他人に思わせてしまうには十分なので、そこから他人の心理的制約にはなってしまいます。

ゆえに私は「読書離れ」より「読書離れさせ」のほうが余程恐ろしいものだと思います。

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