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ある「エッセイ修行場」の話【エッセイ】二六〇〇字

 わが「エッセイ教室」の秋期講座は、先週の土曜日が最終日。冬期講座まで1か月の休みに。苦悶の日々からの解放感がある一方で、虚脱感もある。それほどに充実した「修羅場」、いや「修行場」なのだ。
 今期も妙妙たる作品たちとの出会いがあった。なかには、活字となる子たちもいるだろうが、そのほとんどは、その「修行場」での披露で終わってしまう。それではあまりにも不憫。その意味でも、このnoteの場を活用することをクラスメイトにお勧めする。そこで僭越ながらも、今期とくに敬服した作品を、ぜひ紹介させていただきたい(今回は、とりあえず一作)。
 その前に、早稲田大学エクステンションセンター(早大EC)「エッセイ教室」についての説明を、すこしだけ。
 早大ECは、オープンカレッジとして運営されている。本講座の定員は30名。だが、キャンセル待ちがでるほどで、けっきょく1割増し。10年以上続くような人気講座になっている(早稲田本部以外に、中野キャンパスにも)。講師(noteでは師匠と崇めている)は、元朝日新聞社書籍編集部長の花井正和氏。多くの著名作家の編集を担当してきた(五木寛之とか)。受講生は、早大出身者ばかりではない。職業も、引退されたかた、現役のひと、とさまざま。元教師(専門が国語や古文のひと、校長先生の経歴者も)や、現役のライターなど文章を書くことを生業とするひともいらっしゃる。
 受講したのは2018年の夏期講座(7月から9月)から。その際、「エッセイ」をパンフレットで探すも、見当たらず。が、「くらしと健康」にあった(最初めくっていたページのジャンルは「文学」だったのです)。そうかエッセイって、「暮らし」のちょっとした出来事を読者に伝わるように書くことなのか、と納得する。
 授業は、週1回90分(早稲田校は土曜日)。最初にお題が白板に(「ああ、それかよぉ...」の声も、毎回漏れる)。氏は、文字数を600字(1回だけ800字)にこだわる。新聞一面のコラム、読者投稿のエッセイは600字前後が多いことと、文字数が少ない方が文章鍛錬になる、とのお考え。確かに、そう思う。一字も無駄にできないと考えるようになった。
 前半は、お題に関連し、読んでおくべき(主に)エッセイや短篇小説の書籍の紹介。持ち込む本は、氏の蔵書! すべて貸してくれる。エッセイや文章全般の書き方を、作家の作品を朗読し解説。そして、笑いをとるのが、氏が接した作家の裏話(?)など。名調子で語る。
 後半に、受講生の作品を5本ほど読み上げ、講評(前半に熱が入りすぎ、後半が短くなることが、ままある。💦)。なかには、指導するために取り上げたのかも? と思ってしまう作もあるが、最低でも3本は、うなるような作品。もちろん、全員(口頭で評した作以外)の原稿に赤字が入って戻される。
              ※
 さて、遅れてしまって申し訳なかったですが、今期の「私が選ぶ最優秀賞」(賞品はありません💦)の作品をご覧いただきたいと思います。むろん、この作品にコメントを挟む余地などあろうはずがありません。ただただ、とても「洒落たエッセイ」と感動しました。このときのお題は、自由題。内容は、まさに「コレクション」。選んだタイトルにも、センスを、感じました。それと、(私も心がけているのだけど)マス目を全て埋めようとされていて、かつ無駄がありません。とても勉強になりました。
 Cさん、掲載を承諾していただき、ありがとうございました。

文中の「(で)」は、講師が指摘された修正点。ここ一か所でした。

(画蛇添足)
 秀逸な作品のあとに、ホント蛇足そのものですが、私の作品の添削結果を紹介させてください。この作では、ちょっと冒険的な「試み」をしたのです。が、師匠が読み切ってくれたことが嬉しかったです。お題は、『救い』。noteに投稿した際に、フォロワーさんから多くのコメントをいただきました。提出後に、師匠がどう読んでいただけるかの不安もありましたが、意図通りに解釈していただけたようです。


師匠の講評


原稿1ページ目


原稿2ページ目

<父を、「父」と「カレ」に使い分けた意図>
 私は、父を軽蔑していました。短気な性格と生来の粗暴さで、たびたび母に暴力を振い、女としての一生を台無しにした、と思い込んでいたのです。父が逝く2年前の、最初で最後の「サシ呑み」までは。しかし、呑みながら話していくうちに、その気持ちが変化していったのです。その父も戦争や家長制度の犠牲者、と思うようになっていった。その心情の変化を、「父」と「カレ」と使い分けて書いたつもりです。「父」は、あくまでも自分の父親なのですが、その父を「カレ」とし、蔑視的で、距離を置いた、客観的な意味で使いました。
 その意図を師匠に読み込んでいただけたようです。赤字はほとんどなかったのですが、最初の「カレ」の部分だけは「父」で良いのではないか、とのご指摘がありました。しかし、その「カレ」も、そのままで良いのではないか、と思うのです。「カレ」から「父」に変わっていったのは、呑んでから。その前までは、あくまでも「カレ」。みなさんは、どう思われますか?
 あと、noteのこの作へのコメントで、「『母親』と『母』が同一人物かと思い、混乱しました」という意見をいただきました。しかし、この話には、「母」が2人、登場します。その2人を区別する意味で、「父の母」は「母親」、「私の母」は「母」としました。
 正確に表現すれば、「母親」は、「私の祖母にあたる父の母」とするべきなのかもしれません。しかし、文字数も制限されており、簡潔に表現するとなると、「母親」=父の母、「母」=私の母・父の妻の意味で、区別することが正解ではないか、と考えました。この点は、師匠からは何のご指摘もなく、そのまま受け取っていただいたようです(ですよネ、師匠)。

例文)
〇父は母親の(長男との)差別にひどく憤慨していました
 ↑
×父はの(長男との)差別にひどく憤慨していました
 ↓
△父は「父の母」の(長男との)差別にひどく憤慨していました

 私の「エッセイ修行」は、まだまだ続きます。と言いますか、この「場」は、私の「くらし」の一部になってしまっております。学ぶのは、とても愉しいものです。
 また近いうちに、「私が選んだ最優秀賞」の作品をご紹介したいと思っています。

TOP画像:早稲田大学エクステンションセンター(早稲田大学29号館) 同サイトから


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