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ターミナル【エッセイ】八〇〇字

 コロナ感染者が急増するなか、ニューヨークは、一年前とは一変していることだろう。
 昨年三月末、旧知の仲Nから誘われていた地・NYに行くことになる。『ターミナル』のトム・ハンクス演じるナボルスキーのように、空港から出られなくなるんじゃないかと、不安だった(半分はまじめに)。Nは、「大丈夫よ。お母さんでさえ、一人で来られたのだから」と言うのだが、お茶を濁していた。
 同じ大学出身で、独立前の会社の同期であり、西海岸に二年住んでいたYさんと二人で行くことになり、ついに決心したのだった。
 予約した飛行機はユナイテッドだったのだが、提携の全日空になり、日本人のCAであったのがラッキーだった。苦痛の十三時間と覚悟していたのだけど、幸い快適に過ぎた。
 到着の空港は、JFK。まさに『ターミナル』。着陸が近づくにつれて、また不安がよぎる。滑走路の風景は、千歳空港と思うほどに、殺風景。NYらしさを感じられない。いざ、着陸のとき、飛行機嫌いの習性で、全身が硬直した。JFKであれ千歳であれ、変わりないのだけど、地球を半周したことで、さらに。
 ターミナルは、「7」。CAに感謝を告げ、入国審査に向かったのだけど、映画の風景とは違うのだった。ナボルスキーが大きなスーツケースを転がしながら歩いていたのは、巨大で近代的な建物だった(セットにしても)。だけど、天井は低く、細く暗い廊下をしばらく歩く。まるで、東南アジアの離島の空港。不安がさらに募る。カウンターでも、難義だった。映画のように、怖い顔した黒人が何か言っている。一応聞き取れたのだけど、指紋認証で、OKが出ない。十回は繰り返しただろうか。ようやく、ハブ・ア・ナイス・トリップと言われ、無罪放免。後に地下鉄でも苦労するのだけど、センサー感度は、日本よりも鈍いと思った(「7」だけだったかも?)。
 出たとき、ナボルスキーが小雪舞う外に出られたときのような、気分になったのだった。

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