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三猿【エッセイ】

 かの有名な日光東照宮の「三猿」。諸説あるようだけど、一般的には、「礼節に欠けるようなことを」、視るな、聴くな、言うなという『論語』の一節からきているとも言われている。また、政治に無関心な姿勢を指摘する場合にも引用される。政治的な問題について、「見ようとしない」「聞こうとしない」「話そうとしない」、思考停止状態のことに。
 その「三猿」のような者たちが、私の仕事を長く手伝ってくれていた。おとなしいけども仕事はできるヤツらで、取引先の評価も高く、会社としては、何も文句はないのだけど。
 こういうことがあった。コロナ禍の中で都知事選が始まっているが、確かそのときも都知事選の最中。四人のスタッフたちと呑んでいるときに、私がだれに投票するか、その理由を熱く語っていた。みんな黙って聞いてはいるのだけど、反応が鈍い。何か新興宗教の勧誘を受けているかのような雰囲気なのだよね。こちらも、話すのがばからしくなってきて、聞いてみた。「関心ないの? 投票には行くよね? 」。すると、彼らは、「関心ないです。投票はたぶん行きません」と。呆れてしまった私は、「じゃあ、君らの選挙権、オレにくれないかなあ。オレが支持するひとに五票入れる」と、言ってやった。学校で何を教えているのだろうか、と思ったりもした。
 冒頭に戻ると、埼玉県にある秩父神社にも「三猿」があって、その像は、目や耳や口を手で塞いでいない。「お元気三猿」といわれているようで、「何でも見よう」「聞こう」「言おう」と、積極的な姿勢を奨励する意味があるらしい。そうそう、そうでなくちゃね。
 他の説として、こんなものもある。「礼節に欠けるようなことを」ではなく、「卑猥なことを」見るな、聞くな、話すなと諭す意味もあるらしい。「四猿」目があって、股間を手で隠しているらしい(何だろうね? )。

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