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クーラー【エッセイ】一四〇〇字

 学生時代、早稲田南町にあった5畳ほどの部屋(むろん、風呂なし、トイレは共同)に3年暮らした。そこに、60cm四方の小柄な冷蔵庫が入居することになる。いちおう鉄筋コンクリート2階建ての2階の部屋で、家賃1.3万円。冷蔵庫は、1万。大卒の初任給が6万円の時代で、仕送りは3万だったので、思い切った出費。多くの学生には贅沢品だった。が、ある事情があった。
 自炊していたというわけではない。バイト先で知り合った教育学部のNのご命令で買うことになったのだ。「毎日、夕食を作ってあげるから、せめて冷蔵庫を、買って」と宣うのだ。「いいよ、いいよ、大変だから。シーズン(バイト先)で食べるし、学食でも喰うから」と申し上げたのだが、「いいじゃない、夜食とか、冷蔵庫に入れて朝とかに食べれば」とおっしゃるので、意を決しての購入と、あいなった。
 ただ、彼女の門限は6時なのだ。目黒区に自宅があり、お父上がその時刻には門に立っているとおっしゃる。大手銀行の調査部にお勤めだったが、定年間近ということもあり、定時に帰宅していたようだ。実際に、自宅まで送っていったとき、門前でうろうろするお父上の姿を目撃したことがある。なので、遅い講義がある日は、ムリ。それでも週に半分くらいは作ってくれた。早稲田駅近くのスーパー三徳(いまもある)で買い出しをして。
 こんな話をすると、恋愛物語に終始してしまうので、ここで話題を変える。
 冷蔵庫を買ったのはいいが、置き場所をどうするかである。ベッド(と言っても、ビール箱を並べ、板の上に蒲団を敷いた手作り)と、(いちおう)勉強机を兼ねた食事用テーブルとスチール本棚2台、入り口横にある幅80cmぐらいのキッチンと、仕切り代わりの食器棚(スチール本棚)で、部屋は目いっぱい。歩くにはカニ歩きするしかない。置く場所がない。知恵は働くもので、そこで立体的なレイアウトを考えた。入口の横、キッチンの後ろに押し入れを兼ねた半畳ほどのスペースがあり、160cmの高さで、板で仕切られている。その上が冷蔵庫の居住地になる。後の話になるが、一時期、ケーキ作りに熱中したことがあり、オーブンを買った(これも、当時付き合っていた別の子のリクエスト。ということは、N嬢には1年半で振られる)。その置き場所も、立体的レイアウト。なんと、本棚の上。ガスホースをのばし設置。学生時代、就寝中に震度4以上の地震があったら、いま、この世にいなかかっただろう。
 冷蔵庫は、小柄な体ながらも懸命に働いてくれた。が、彼? 彼女?には、もう一つミッションが増えることになる。
 夏の暑さは、いまほどではないにしても、鉄筋コンクリートの部屋。半端じゃない。直径25cmくらいの扇風機はあったにせよ、よく熱中症にならなかったものだと思う。そこで考えたのが、冷蔵庫の扉をしばらく開けっ放しにすること。冷気が下りてきてクーラーをかけたように一瞬は涼しくなる。彼女との時間(!?)には、活躍してくれた。しかし冷蔵庫や、その中の住人には拷問に近い。たまったものじゃなかっただろう。
 その後、階下にバイト仲間のUが住むことになったのだが、当然、冷蔵庫はない。しかし、しばらくすると、彼も、同じバイト先の(同じく教育学部の)Tと付き合いはじめ、冷蔵庫が入ることになった。むろん、クーラーとしてもこき使われることになる。

(御口直し)

怒り

過日書いた(下掲)願いむなしく、地検は醜い意地を張り、高齢の袴田さんにさらに苦しみを与えるという。検察は、巨悪に立ち向かい、弱者を救うのが本分ではないのか。近年、その矜持を示した事例を拝見したことがない。
前回のエッセイの一部を繰りかえすが、こう言いたい。
「疑わしくは罰せず」は、近代刑事司法の大原則となっている。しかし、「怪しいなコイツ。だが、証拠はない。が、犯人だったら他の被害者を出してしまう。ここは証拠を作ってしまったほうが、世のため、国のため」という勝手な「正義感」を言い訳にしていないか。ひとりの人権よりも世・国家が勝るという。
検察官自身が袴田さんのように死刑を宣告され、同じ立場のものが執行され、(55年間、無実を訴え続け、釈放されるも)45年間、死の恐怖の中で収監・拘束されたことを想像してみてほしい。私なら気絶する。

昨日の天声人語

朝日新聞朝刊(7月11日)

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