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「選挙」(後篇)「せめて投票を」から、一歩前進を【エッセイ】二八〇〇字(本文)

 前篇で「世界幸福度ランキング」に触れました。コメント欄には、「ランキングが好きですねえー」とおっしゃる方もいらしたけども、「餃子やラーメンなどの類」のランキングとは違うのであります・・・。ランキング好きなわけでも、(もちろん)ありません。しかも、ランキング好きの日本人だけが対象じゃなく、国連が世界に向けた報告書であります。主観的なデータも含まれるので、確実性に欠ける部分もあるとは思いますが、上位にランクされている国々を見れば、納得できるのであります。
 さらに前篇で、「あなたは、幸福ですか?」と問いました。「私は、十分に幸福です」と答えるひともいれば、「本当の幸福って、自分だけではなく周りの人も幸福でないと実感も実現もできないような気がしています」というひともいました。この私も、「幸福です」と答えるでしょう。いや幸福と思いたいというほうが正確かもですが・・・。後者のかたと同じで、「周りの人も幸福でないと」「幸福を実感できない」と、思うのであります。幸福を阻害する根源的な原因は、「不安」と考えております。コメントの中にも、こんな発言がありました。「(「世界幸福度ランキング」は)国(政府)への不安の少ないランキング、生きることへの不安の少ないランキングだと思っています」という。私も、そう思うのであります。とどのつまりは、「国への不安感」「国への不信感」が多いか少ないか。ランキング上位の北欧諸国は、ほかに比べれば、「国への不信感」が少ない、言い換えれば「国への信頼感」が高いと言われているのであります。と、前置きはここまでにして。
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 北欧諸国の信頼感が、なぜ高いのか。下掲の「未熟(3の2)【エッセイ】二〇〇〇字(本文)」で、スウェーデンと日本の政治の決定的な違いとして、
1)政治家の質素さ
2)透明性
3)高投票率(特に20代は大きな差)
を挙げています。
 最終的には、その違いは「高投票率」ということになるでしょう。政治家が質素で、政治に透明性があるから、「国への信頼感」が生まれ、シラケることなく高投票率につながっていると言えます。日本の場合は、逆です。「政治家は既得権益にまみれ、情報は不透明で、隠蔽、改竄される。国に不信感を抱き政治に失望する。その結果が低投票率」。国に不信感があるなら、選挙で国を変えようとするのが本来の姿、と思うのです。が悲しいかな、そういう雰囲気ではないようです。
 ちなみに、スウェーデンの直近の国政選挙の全体投票率は90%近く(日本は、50%強)、20代では、80%強(日本は約30%)です。嗚呼・・・ですね。

 上掲『未熟』で紹介する本、『あなたの知らない政治家の世界―スウェーデンに学ぶ民主主義―』を読んでみると、こう思うのです。
 「自分だけでなく周りのひとも幸福と感じることができるような国」にしようとしている。自分ひとりだけなら、「自助努力」で、なんとかできるけれども、そんなひとばかりではない。「自助努力」だけではどうにもならないひとたちも幸福になれるように、国に対して要求しています。国を変えようとしています。その「共助」となるもののひとつが、「選挙」です。そして、実現した政府によって、「公助」で助けていく。そのために、スウェーデンをはじめランキング上位の国々は、暮らしの中で「政治を語り」、「選挙に真摯に向かっている」。
 なぜ、日本は、政府、政治に不信がありながら、放置しているのでしょう。不思議です。
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 すべての国民は、「個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と、個人の尊重・幸福追求権を憲法(第十三条)が保障している。国家は、国民の幸福を実現するためにあるのであって、国家のために国民があるわけではない。国は、「国民を幸福にしなければならない」のです。
 いまの日本は、そんな国でしょうか? 弱い人たちに顔を向けた政治になっているでしょうか? 私は、大いに疑問を感じています。では、どうしたら、日本国憲法が描く国になっていくのでしょうか。
 私は、「多くの国民に絶えず顔を向けざるを得ないような政治体制」にすることだと考えます。よく例に出されるノルウェーやスウェーデン、フィンランドなどの「政治先進国」では、国民を無視し、税金を無駄遣いをするような政府は交代させられる、という緊張感のある政治体制になっています。
 幸福度を上げる政策は、これら「政治先進国」をお手本にし、学びたいものです。もしくは、斎藤幸平氏をはじめ新進気鋭の政治思想家の提案から学ぶこともあるとも思っています。しかし、時間のかかることです。その前に、「国民のための政策」が実現できるような体制づくりが必要と考えるのです。
 安倍元首相が「悪夢のような」と、レッテル張りされた民主党政権は、失敗したと結論付けられてしまいました。しかし、国民に顔を向けた政策をやろうとしていたと思います。その一つが、「子は国の宝」を方針に打ち出し、少子化対策の看板政策だった「所得制限なしの子ども手当」です。潰したのは自民党です。いまになって、「所得制限なし」を認めようという動きもありますが、自民党は、子育ては、「国」ではなく「家族」の問題としてきただけに実現するかどうか。10年以上も遅らせられているのです。
 不信感がありながらも、一強政治が長い期間、続いています。政治先進国にも自慢できるような政治が行われているなら、何も言いません。はたしてそうでしょうか? あなたは幸福かもしれない。でも周りの人たちはどうでしょうか?
 現在、統一地方選が始まっています。それに合わせて、東京・下北沢で、若者たちが政治、選挙に興味を持っていただき、政策について気軽に意見交換を行えるような場と機会作りをしている、と報じられています。北欧で行われているような、市民が街角で政治家らと直接顔を合わせ、政治を語り合う空間、「選挙小屋」運動です。国分寺でも、投票率「全国1位」を目指そうと、市民が活動しています。このような動きが出始めているということは、大きな進歩と思います。しかし残念ながら、まだ「せめて投票に行こうよ」レベルです。あと一歩進めましょう。G7サミットの派手なパフォーマンスで支持率が上がれば、近々、解散総選挙があるかもしれません。
 ただ単に投票すればいいわけではないと思うのです。日本の政治体制をどのような方向に変えるかを考え、投票したいものです。繰り返しますが、「緊張感のある政治体制」にするための選挙であって欲しいと思っています。
 「緊張感のある政治体制」を作るにはどうしたら良いのでしょうか? 私は、こう考えます。現在一強の政治体制のパワーバランスを均衡にならなしていくのです。理想は、与党と野党の議席数が拮抗するまでに。現在は、少数野党が多くあります。すぐに政権交代は難しいかもしれません。しかし、連立政権による交代の可能性を示せるなら、すこしは緊張感が生まれるでしょう。どの野党に投票したらよいか迷うでしょう。判断基準は、現与党と対峙する姿勢を示し、あなたの考えに近く、与党の議席を減らす可能性の高い政党ということになるでしょう。まずは、与党の議席を減らすことが、とりあえずの目標になるからです。将来的には、(時間がかかっても)市民の”草の根運動”を通して、現与党に対峙できる政党を育てることができれば、その可能性が高くなると思います。
 現在の最大政党は、自民党です。しかし、その自民党に投票したひとにもいろいろな方がいます。「どんなことがあっても自民党を支持する」(積極支持層)というひと。「積極的には支持はしないが、他よりはいいだろう」「野党がだらしないから」(消極的支持層)というひと。この後者は、変っていく可能性があります。そして、無党派層がいます。この中には、「シラケ派」も含まれますが、政治にはある程度は関心があっても、現在の政党を積極的に支持できないひとたちと思われます。この層も、変っていく可能性があります。
 これら「自民党への消極的支持層」と「無党派層」に訴えたい。「あなた方の投票行動によって、『緊張感のある政治体制』を実現できる可能性があるのです」と。
そして、noteで記事を投稿する方々にも訴えたい。「あなた方には、その機会と想像力・表現力があります。『政治後進国』から脱却するために積極的に発言していきませんか」と。

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