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「国家」 < 「ひとつの命」(2の1)【エッセイ】一六〇〇字

TOP画像:東京新聞から

「五本に一本書かなければ筆が腐る」と言いながら、4月8日以来、書いていなかった。
何を? 「政治のお話」である。「国家」に絡むタイトルだからと、大上段に「国家論」をぶちかますわけではない(その知識もないし・・・。 💦)。以下に書くのは、ワタクシの(単なる)つぶやきとしてお読みいただければ、と思う。

永田町では、G7のパフォーマンスの成果(?)か、内閣支持率が上り、解散総選挙の声も出始めている。岸田ボンボンの無教養なふるまいで支持率が低下するかと思いきや、「まあ、すぐに忘れるよ」とのお言葉通りに「すぐに忘れ」、下落幅はそれほどでもない(唖然)。なんともお人よしの国民なことよ。英国では、議員辞職する元首相がいるというのに、嗚呼・・・。
よって、いつ選挙になっても良いように、(政党政治なのでね)政党を選ぶ、(私の)考え方を記しておきたい。

               ※

結論は、
「国家>ひとつの命」か「国家<ひとつの命」か。
このどちらに、その政党が比重を置いているか。

必ずしも、決めつけられない難しいことではあります。
「ひとつの命」だけを犠牲にすれば、他の多数の命を守ることができる。となったら、「ひとつの命」の犠牲も已む無しとするかもしれません。しかし、それは極論でしょう。
その前に、「ひとつの命」を犠牲にしなければならないような状況を招かないようにすることではないでしょうか。

「ひとつの命」を守るために、まず「国家」がある、と考える政党。
いや、「国家」よりも先に、まず「ひとつの命」を優先する、と考える政党。

私は、後者の姿勢を示す政党を支持します。
「国民の命を守るためには、まず国家を守らないといけない」として、過去、そしていまも戦争が行われているからです。
「『ひとつの命』は大切だよ。しかし、『ひとつの命』にこだわっていたら、多くの命を失いかねない。そのために『ひとつの命』が失われてもやらなければならない」
ではなく、
「(可能な限り)『ひとつの命』を守るために、何をするか」を、考えなければならないと思うのです。

過日、「核シェルター」の必要性を述べました。この考え方も、その一つです。

朝日新聞朝刊「声」にも、たびたびシェルターの建設を訴える投稿が目立つようになってきました。

朝日新聞朝刊(6月8日)「声」

その必要性を感じ、数十年前に着手していたら、いま、国民(外国人も含め)全員が避難できる施設が出来上がっていたかもしれません(そんな国は存在するのです)。
もしそうなっていたとしたら、「敵基地攻撃能力」とか、「世界第三位の軍事大国」とか、国際関係をまずます緊張させる政策に、多くの税金(増税と言っていないけども、選挙後に必ずやります)を使わなくても済んでいるかもしれません。
しかし、現実はそうなっていません。
Jアラートが鳴り響き、「避難してください」と言われても、どこに逃げればいいんだよ、と思いませんか。
いまからでも、時間がかかってでも、「ひとつの命」も失わなくて済むような施設の建設を始めるべきと考えるのです。

戦争になれば、戦争になりそうになったら、
「ひとつの命」には目が向かなくなります。
「ひとつの命」を犠牲にしてでも、国家を守ろうという考え方に変っていきます。
そうならないように、「ひとつの命」の重さを意識することが大切と考えます。

「人権」も同じ考え方です。どんな境遇であっても、この国に生まれてきた命、いや、日本に期待して訪れた外国人の命も平等に守っていかなければならないのです。しかし、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんに、心無い発言を繰り返した(与党と対峙すると言いながらも擦り寄る)政党の議員も存在します。そんな政党に、「国家<ひとつの命」の考え方があるとは思えません。

東京新聞朝刊(6月6日)

強制送還されれば命の危険がある難民に対して、(難民)申請回数を2回までと制限し追い出そうとする法律が強行採決された。難民不認定への不服申し立てに対処する体制が貧弱過ぎるという疑義がある以上、強制送還されるひとが増える。が、案の定、(与党を厳しくチェックする野党であるべきなのに)日本維新と国民民主は賛成してしまいました。

過日書いた、ミャンマー人のヌイくんは、「オーバーステイ」で強制送還され、その直後にクーデターが勃発。隣国タイに逃げ、オーストラリア留学のために待機中です。日本は好きだったけど、期待できないと。
彼が、「外国人をじゃんじゃん受け入れ、税金をどんどんとればいいじゃないですか」と言っていた言葉が思い出されます。

あるミャンマー人の若い友【エッセイ】一六〇〇字(本文)

(つづく)

(ニュース)

Noteの友、「宮島ひでき」さんと、お会いしました!
1泊2日の予定で、「出稼ぎ」(ご本人の弁)で東京にいらっしゃいました。😆
1日目については、こちら。

「昼呑み」をしようとのご提案で、自宅近くの神楽坂の蕎麦屋を予約。
開店時刻の11時半に合わせて店に向かったのだが、ワタクシとスグに気づいていただき、おじぎをする男が店の前でお待ちでした・・・。(待ち合わせ時刻を10分くらいずらせばよかったと、後悔)

昼閉店の14時半まで、途切れることなく話が続きました。飲んだのは、加賀の酒を冷酒で。ひとり5合。つまり二人で一升瓶を飲み干したことに。さすが大酒のみの宮さん(というか、ワタクシも?😆)。
「聞き役」とおっしゃっていたから、こちらが一方的に話しするのは避けようと思っていたのだけど、とんでもハップン。話すは、話すは。止まらない、宮さん。 😆
3時間近く話していましたが、まだまだ足りず、四ツ谷駅に行き、コーヒーを飲みながら、さらに1時間近く話し込みました。
エッセイの雰囲気どおりの、義理人情を重んじる、まさに昭和な“男たらし”の男。「おい宮島、出てこい」と、先輩から可愛がられるのも、うべなるかな、と納得。柔らかな物腰の奥に、武闘家としての鋭さも感じさせる、そんな宮さんでありました。

で、話の内容? それはナイショ、です。😆

四ツ谷駅でお見送りの際に、宮さんが撮ってくれたワタクシの「おみ足」😆。(宮さんの記事から盗用)


「おみ足」😆

私は撮影をしなかったので💦、彼からいただいた、かわゆいお土産をば。😆

ドローリーのクッキー

楽しい時間でした。また呑もうね! ありがとうございました。

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