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感動【エッセイ】一二〇〇字

写真:Getty Images(優勝決定後に、TOP画像差し替え)
※今回の優勝は、この大谷の叫びから始まったと考える。

小説・エッセイや映画、絵画、そして音楽と、ひとを感動させるものは数々あれど、負けず劣らずスポーツもそのひとつだろう。昨日のWBC準決勝の逆転サヨウナラ劇。小説や映画、漫画で描けば陳腐なストーリーになる。超一流がみな必死になってプレイしている姿をLIVEで観ているからこそ、想像力を超越する感動を産むのだろう。JAPANを応援するのはもちろんだが、国を超えた感動を与えてくれている。浅薄なナショナリズムでは、ない。
 特筆すべきなのは、過去にも福留、イチロウがそうだったように、不調だった村上がサヨナラを打ったこと、栗山監督の選手を信じきる采配がドラマを演出したこと。
(実は、巨人ファンなのでヤクルトの村上には不調のまま、JAPANが優勝し、ペナント・レースが始まるのが理想だったのだが。(笑) 姑息であった。「宗よ、大暴れせい!」)。
きょう訪問していただいたneterさんは、せっかくだから「スキ」だけはポチして、(笑 決勝戦を観戦しましょう。どちらが勝っても良いではないか、また感動を与えてくれるだろう。
 試合が終わったあとで結構なので、「爽やかな感動」の最後の一文も、ご覧あれ。

 昨年の3月26日に、ウォーキングの道すがらの感動を投稿した。

(抜粋)
 エッサホイサ歩いていると、「すみませーーん」の若い女性の声が。振り向くと、自転車に乗った中学生らしき子。とっさに「あ、ゴメンゴメン」と、端に寄る。その子は、礼をして走り去った。清々しかった。と同時に、狭い歩道の真ん中を歩いていたことを、恥じた。ウォーキングでよく見かける。狭い歩道を占領してゆっくり歩く人、何人かで横並びに歩く人、とか。「1人分は空けて歩いてよ」と、横暴なことを言う権利は、私には、ゴザイマセン(もちろん)。ただ、後ろに目を付けなさいなんて無茶なこと言わないけども、普通よりも速足で歩く人、ジョギングする人などもいるので、多少は気にしながら歩いてねと、(ちょっと)思う。にも関わらず、私が、その対象になってしまった。そのことを恥じたのだ。そして、その子の爽やかな「声かけ」が嬉しかった。その日一日、何か良いことがありそうな、そんな気さえしてくる。(私の印象であるが)声をかけてくれるのは、小学や中学の生徒に多いように思う。学校の教育か、親の躾なのか。大人になっても、「声かけ」は忘れないようにね、と心の中で、その子に「声かけ」した。

この中学生にも感動を覚えたが、下の投稿の「こんにちは!」の子には、参りました。一昨日(20日)の朝日新聞朝刊の「声」の欄で目にした、この投稿。ぜひ読んでいただきたい。WBCとは一味違う感動がある、かも。

朝日新聞朝刊(3月20日)「声」


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