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JR上野駅公園口(「天皇」篇)【エッセイ】六〇〇字

 父が、新聞に唾を吐きかけた。昭和天皇の写真だった。六十年ほど前、小学五年のころ。
 父は、母親が長男を溺愛し、自分が差別を受けたと思い、十六歳で海軍に志願した。人間魚雷で敵艦に突っ込む運命にあったのだが、終戦になり、帰還する。海軍魂を叩きこまれた人間なので、天皇崇拝思想の持ち主と思いきや、違った。父は、長男を「特別扱い」する封建的な家族制度と、「特別」の象徴である「天皇制」に、強く反発したのだった。
 最近読んだ『JR上野駅公園口』は、「山狩り」と、排除を強いることになる「天皇制」がキー。筆者は、主人公の誕生年が明仁上皇と同じで、長男の生年月日が、今上天皇と同じという設定で、「天皇」と、運命を絡める。
 戦後まもない昭和天皇の巡行で郷里を訪れた際に、何のためらいもなく万歳する「自分」と、「山狩り」で排除されるホームレスの「自分」とは明らかに相反する。しかし、御料車の天皇の姿を見て、ロープをくぐり「何か」を直訴したい想いがありながらも、本能的に手を振ってしまう。「天皇制」の呪縛から逃れられない「自分」への絶望。生きてきた時間は同じだが、「運のない自分」との決定的な隔たりを感じつつ—————。郷里につながっている上野駅の、最期の二番線に向かう。
 父と初めて呑んだのは、母の死後、大学四年の夏休みで帰省中。父は言った。「戦争で死ぬとき、天皇陛下万歳と叫ぶというのは嘘だ。みんなお母さん万歳と、言ったんだ」と。

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