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あの女( ひと )探し【エッセイ】

 平成最後の春、NYに行くことになる。友人Yさんの亡き母上の生誕地を訪ねたいという話と、NYに住む女性の、誘いもあって。
 旅の準備中。ガイド本よりは、エッセイストの視点のNYがいいと、常盤新平氏の『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』を手にする。すると文中に、半世紀も前に知り合った女性と同姓同名、同じ年の頃、NY州北部の出身、日本の高校の留学経験があることなど、あの女( ひと )と思わせる件( くだり )を、目にする。
 あの女( ひと )は、出身高校の交換留学生として、北海道滝川にいた。私は、札幌で浪人中だったのだが、演劇部の後輩の練習を見に行ったときに、知り合う。以降、滝川と札幌で、何回か会う。来日して間もなく、日本語は片言。私といえば、英語は大の苦手。筆記での会話だったが。七〇年封切の『レット・イット・ビー』も、札幌で観た。翌年、東京にいたときに、羽田で見送ったのだった。その後、何回か手紙を交わすも、そのまま終わってしまって、いた。
 その人は、JALの雑誌企画とのタイアップで、常盤氏が取材でNYに訪れた際、NY支社の社員。ガイド役を務めた、らしい。その企画が、『キミと歩くマンハッタン』に書籍化されていることを知り、あの女( ひと )を、探す。
 すると、留学先は、なんと北海道であり、髪が薄茶色、顔も躰も小づくりの可憐な美女、瞳はブルーとある。完全にあの女( ひと )、ローリー・ブラウン、だった。
 常盤氏とは、仕事で何度か接触があったが、すでに逝去されていて、確認不能。そこで、母校に調査を依頼する。が、北部かどうかは不明だが同州出身の同名の留学生がいたとの、返事が届く(年度末のお忙しい中、調べてくださった。さらに一年後の今年の春、ミドルネームがエリザベスであることも、わかる)。
 Yさんの母上の前に、図らずも、遥か昔の愛しのひとを探すことになるも、結局、現在NY在住なのかは、わからなかった。が、ローリーがいたであろう、その街に、向かった。

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