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年齢【エッセイ】六〇〇字

 コロナ禍のなか、多くの「はたち」は、大人になる大切な儀式を、奪われてしまった。
 だけど、半世紀前の私の「はたち」を思い返せば、大人になりたいと思わなかったし、大人になったという自覚もなかった。せいぜい、大っぴらに酒が飲める、タバコが吸える、って程度。だから、「いまの若いモンは————」なんて言える柄じゃないけども、コロナへの言動をテレビで目にするたびに、私たちの時代よりもさらに幼くなっていると感じる。人生百年時代で一年が間延びし、成長の速度が遅くなっているのでは、と思えてくる。三十歳で、ようやく成人というのが印象だ。つまり、七掛けくらいが、妥当かもしれない。
 西郷隆盛や坂本龍馬たちの時代は、掛けるのではなく、逆に実年齢を〇・七、いや〇・六で割った年齢。二十歳のときで、三十数歳に相当する大人だったのじゃないか、と思う。
 ただ、現代にあっても実年齢を疑ってしまう若者たちはいる。将棋の藤井聡太二冠が、その一人。彼は、まだ十八歳。私よりも半世紀若いにもかかわらず、「大人度」では、私の真逆ではないか、と思うほど。とほほ————。
 因みに私は、成人式を経験していない。基準が満年齢か、数え年か、地域によって異なっていた。前者が基準のとき札幌に住民票があり、東京に移した年は後者で、すでに式は終わっていた。つまり、私は、未成年ということになる。だからか、実年齢に六掛けが精神年齢かも。せいぜい、アラフォーかな、と。

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