話すことで、気づくこと

今日はお仕事で神田にいました

御茶ノ水駅から坂を下ってゆくと
楽器屋さんが目立ちます

この一帯に大学があちらこちらにありますし
その合間に病院もあったりして
都会ってすごいと思ってしまう

いろいろなものがひしめき合っているのが
とても興味が湧くんです

実はカレーも有名みたいで
そう言われると
確かにカレー屋さんがあちこちにある

カレーパンの専門店もある

御茶ノ水〜神田ってマニアックだなぁと
思ってしまう

なんでカレーなのか?というと
仕事の後にあった友達がカレーを食べにいかない?

というので、カレー好きだし
いいよ!と二つ返事をしたんです

カリーライス専門店エチオピア本店は
残念ながら長蛇の列だっので入れなかったのですが
その隣にも、上にもほんとうにカレー屋だらけ

言われて知って、みる視点が違うだけで
入ってくる情報がガラリとかわってくる

どれだけ普段、小さな世界観でしか
動いていないのかまでわかってしまう

もちろん、それが嫌だとかは
思っていないのだけど

知らない世界はたくさんあって

知れることがある面白さを改めて
感じてしまった土曜日でした

カレー屋さんでは、カレーを差し置いて
友達と話を続けるわけですが、その中でも
人間から出る言葉や、相手が思っていることを
知ることについて話題になりました

友人は、経営についての授業を担当しているようで
そこで感じる、生徒さんたちの面白さを
話してくれました

一般的な回答ではなく、どんなことが
目に留まった、気に留まったのか?を
聞いていくと

みんなが当たり前のように使っている
書きたかではなく

短文で「ねこ」と書いてあることに
自分の「?」が反応したと話してくれたんです

コレって、確かに受け取る側の意味づけも
あるとは思うのだけど、なぜここに「ねこ?」と
受け取るか、スルーするかで、この人への興味
が大きく違うと思うんですね

なぜそう書いたのか?
なぜそう思ったのか?

もしかしたら「別に」とか言われるかもしれない

けど、ただ経歴をツラツラと書かれたものとは
違う興味をそそられるわけですよね

友人はきっとこの疑問を次の講義で
投げかけるのだと思うのですが
果たしてどんな答えなのだろうか?

ちょっと気になってしまう

いくつも話が飛んだり
元に戻ったりしていく中で
お互いが話していること
最近気になっていたこと

これまでに体感したことと
急につながることなどもあるんですよね

お互いに全然違うことをしていても
共通項が見えて来たり

同じようなことをしているのに
全くみている視点も違ったり

気兼ねなく相手と話せることが
自分の考えていることの整理になったり
新しいアイデアが浮かんだり
もやっとしていたことがうまく言語化できたり
その人の熱量を感じることもできるし
自分の新しい可能性に気づくことだってある

もちろん、相手にリスペクトがあるからこそ
気づける部分かもしれないけれど

会話から生まれる気づきは
起こるし、気づいたことを次に
動かしてみること

動かしてみることでしかわからないこと

自分が体感する、体験することでしか
気付けないことがたくさんあって
こうして大きくなってきたけど
これは大人になっても必要なことで
自分だけにとどめて置かずにシェアしたり
発信してみたりすることで
あらたな反応が起こることがある

だから生きてることが面白いんだなって
わかる

難しいこともあるけど面白いこともある
楽しいこともあるし、使命感みたいなものも
あったりする

こうして「何か」に気づき
次に行動をしてさらにわかることがある
そこで自分が何か感じるのか?
何とも思わないのか
何も起こらなかったのか?
そのあたりを知れる機会にもなるわけで

とにかく友人と5時間くらい
話し続けてわかったことは

人間は会話や意見が交わることで
自分が前に進むことが多いと思う

なかなか景色が変わらなくても
実は螺旋階段の上の方まで行っている
ことだってあるわけで

これも動いていなければ
そこまでは行けないんですよね

電車が止まっている間にこうして
言葉を打つことが出来ました

お店にはエリッククラプトンの
チェンジザワールドが流れています

世界を変えられたらなぁ〜っていう
ピュアなラブソング

エリッククラプトンのオリジナル曲ではなく
ワイノナ・ジャットの楽曲

これも面白い

だってどうなるかなんてわからないわけで
ワイノナ・ジャットとクラプトンは
どんな会話をしたんだろうか?

今日もありがとうございます

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