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フォトグラメトリしなかった原宿駅、した新潟駅

この記事は「AEC and Related Tech Advent Calendar 2020」10日目の記事です。

普段いろいろとフォトグラメトリしてる中で、駅舎と言う建築物について書こうと思います。

原宿駅

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まずは原宿駅について。
東京都渋谷区にあるJR山手線の駅です。
2020年3月に新駅舎の供用が開始され、大正13年築・都内最古の木造駅舎は96年に渡る役目を終えました。
原宿駅の建て替えは発表時から物議を醸し、当初は旧駅舎は取り壊すとも言われていましたが、最終的には現在と同じ場所に再築する形で保存することが決まり、現在は元の部材を再利用するために丁寧に解体工事が行われています。

だいたいどこかの建物の解体の報せを聞くとカメラを持ってすぐさま出かけるのですが、原宿駅舎の建て替えは2016年にはすでに知っていたのに結局フォトグラメトリしませんでした(自分がフォトグラメトリを始めたのは2018年ですが)。

経過については随時追っていましたが、当時からどうにも消極的な様子が伺えます。

その理由はそもそも駅として使いづらい原宿駅にいい印象が無かった、と言う身も蓋もない話ではあります。

最古の木造建築として、文化として、シンボル・ランドマークとして認知はされているものの、少なくとも自分は駅としての役割を終えたもの、と感じていました。

保存される駅舎

結果として原宿駅の旧駅舎は元の姿を再現する形で保存される事になりました。
一般的に駅舎と言う建築物は保存されません。
と言うか、保存を前提に建てられた建築物は無いと思うので、駅舎も他の建築物と同様に役目を終えると建て替えや解体されます。
しかし中には駅としての役割以外の付加価値を獲得し、後世に価値を伝えるために保存される駅舎もあります。
この辺りは公共建築と同じような扱いですね。

いくつか例を挙げると、

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言わずと知れた東京駅丸の内駅舎。創建当時の姿を復原し駅としての役割を保ったまま保存されている駅舎の一例です。

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同様の例は、福岡県にある門司港駅舎にも見られます。
(この写真は復原工事が始まると知って撮り行ったものなので、復原後の姿も撮りに行かないと…)

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JR中央線 国立駅。
こちらも原宿駅と同様に駅の改良工事(高架化)に合わせて解体される所だったのを、紆余曲折あり一旦解体後に再築された駅舎です。
現在では旧待合室が交流スペースに、旧駅務室が資料展示室等となっており、国立市と旧駅舎の関りについて伝えています。

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東急電鉄 田園調布駅。
一部に元の部材を使用しているものの、こちらは国立駅とは違い外観のみを復元したものです。
元は大正12年に作られた建物でしたが、この復元駅舎も今年で築20年になります。

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初代新橋駅。
日本で最初の鉄道駅舎で当時の姿を完全再現した復元駅舎です。現在はレストランと資料展示室となっています。

写真はありませんが他にも、
JR奈良駅旧駅舎は当時の姿のまま、現在は観光案内所として活用されています。

南海電鉄の浜寺公園駅、諏訪ノ森駅。
こちらは、曳家による移設によって保存されています。

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番外:JR総武線 両国駅。
かつて両国駅が千葉方面のターミナルだった頃の面影を残す旧駅舎で、創建の昭和4年からすでに91年が経過し現在でも商業施設として現役で利用されていますが、保存を謳われているのかいまいちよくわからない駅舎です。

と言うように、色々と保存される駅舎があるわけですが、これらは

・歴史的価値が認められている。
・建築作品として評価されている。
・街の成り立ちに深く関わりがありシンボルとして認知されている。

なのだろうな、という事が見て取れます。
それに照らし合わせて、原宿駅についても薄々保存されるんだろうなと感じ取っていたのかもしれません。

新潟駅

そして新潟駅。

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現在、新潟駅は新潟市による連続立体交差事業に関連して高架駅化工事が行われています。

すでに駅機能は仮施設に移り、新潟駅の万代口駅舎と呼ばれる旧駅舎も近いうちに解体され、駅前の再整備が行われることになっています。
そして新潟駅旧駅舎が照明が11月11日に落とされるという事で、おひとり様日帰りなのでGotoキャンペーンの恩恵にもあずかれないにも関わらず、ギリギリ11日に撮影をしに新潟へ行ってきました。

そして帰って来てさっそくフォトグラメトリ処理を始めます。

なんで原宿駅は4年もウダウダしてたのに、新潟駅は速攻で行動に移したのかと言えば(高架化自体はもう何年も前から知ってたけど)

新潟駅は絶対に保存されないから

それが良いとか悪いとかではなく、それが普通なんですよね。
最初の方に書きましたが、役割が終われば解体される。
万代口駅舎自体、建築としては特筆すべき点は特にない一般的な鉄筋コンクリート造の駅舎だと思います。
なので、保存に関する議論も起こらなかったのではないでしょうか。

建築としては特徴のない万代口駅舎ですが、駅としては特徴がありました。
それは民衆駅と言うものです。
民衆駅とは、駅舎機能と商業施設機能を併せ持った駅舎の事で、現在のアトレの様な駅ビルのはしりとなった建物です。
ただ、東武浅草駅の松屋浅草などと商業施設が一体となった建物は昭和初期には既に存在していたので、それ自体は特に珍しくなくはありません。

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民衆駅はそれと何が違うのかと言うと、国鉄の駅だったという事でした。
私鉄では当たり前だった複合施設を国鉄が真似したものですが、微妙に違うのは、地元と共同で建てると言う事でした。
つまり折半する事で、駅舎内に商業施設などの駅以外の機能を加えるという物でした。

民衆駅自体も数は多く、改装などを行い現在でも使っている駅は今でもありますが、その中でも新潟駅は比較的当時の姿に近い状態で現在まで使われていました。
特徴があって特徴のない姿を残しておこうと思ったのが、新潟駅をフォトグラメトリした理由でした。

まとめ

フィジカルな建築では出来なかった別の役割を与えることが出来るかもしれない、と言うのは旧都城市民会館で分かったので、例え現物が保存されるとしても写真撮っておこうと思うのと、今溜めてある色々なフォトグラメトリデータの活用も考えて行かなきゃいけないな、と言うのが来年の課題です。

何でもいいから写真は撮っておこう!



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