久保雅美|社会福祉士×ダウン症子育て×法人代表×コーチ⭐︎人生起こること、全部「ネタ」
就労支援員として働く、社会福祉士✖️コーチがお答え! 成人のダウン症のある娘を育てている親への質問集
みなさんからいただいた、ご質問にお答えするシリーズNo.20 「気持ちの切り替え、周りとの折り合いの付け方、いつ頃、どんな風にできるようになりましたか?」 他の方からも、気持ちの切り替えについてのご質問、いただいております。 「頑固」 「固まる」 などなど、ダウン症のある人たちの動かなくなっちゃう問題は、本当によく聞きますよね。 うちの娘もそうだったんです。 保育園年少さんの時の担任の先生にこんなこと言われました。 それは、娘が動かなかったので、ヒョイっと持ち上げて、
みなさんからいただいたご質問にお応えするシリーズ。 No.19は、「困った時や、イレギュラーなことが起こった時、対応できますか」 娘が小学生に上がって、個別指導計画を書いてもらうようになってから、ずっと上がっていた課題は「援助要求」でした。 助けて!手伝って!わからない! などがなかなか言えませんでした。 長女気質だからなのか、はたまた私が鬼ババだったからなのか「やって〜」とか「できない〜」とか言うのが苦手な娘です(苦笑) そんなわけで、困ったまま固まっていたり、で
皆様のご質問にお応えするシリーズ。 No.18は、今日の質問は 「何をしてる時が一番幸せですか?」 さて、実はこの記事は、インスタに投稿したものをリライトしてお届けすることにしました。 リライトするにあたり、どういう意図でご質問をくださったのか確認しようと、当時のメッセージを探してみたんですが、どうも見つからない・・・ ということで、こんなふうに仮定して、回答をすることにしました。 「ご質問くださった方のお子さんはまだ小さくて、大きくなったダウン症のある方ともあまり接
皆さんの質問にお答えするシリーズ、No.17は、 「一人での外出は何歳からできましたか。登校やお買い物など。」 娘がダウン症だと分かった時に、「一人で買い物できること」「一人で移動できること」この二つを成人までにできるようにする、という目標を立てました。 それは、娘が生まれる前から働いていた、知的障害のある人の作業所のメンバーの中で、幸せそうに暮らしていた人は、この二つができていたから。 ある人は、土日には一人で出かけて好きなもの食べてくるんですよ。それで「●●のオムライ
いただいたご質問にお答えするシリーズNo.16 「好きな人がいる、または、彼氏ができたなど、娘さんから聞いた事ありますかー??」 「好きな人いるの?」と聞いたら、だいたいいつも「ナイショ!」と言われます。w 教えてもらった事ないんですよ(TT) どうなのかなぁ? 娘の反応を横で見ていると、「メンクイ」ですね。母に似てw イケメンと会うと、いつもよりいい笑顔しています(笑) 嵐が大好きなんですが、ジャニーズはみんな大好き。 事業所に気になる人はいそうな雰囲気はあり
皆さんのご質問にお答えするシリーズNo .15 「ヘルプマークは何歳ごろから付けたのでしょうか?」 実はヘルプマーク、うちの娘はつけていないんです。 ところで、ヘルプマークってできたのいつだっけ?とググってみたら2012年10月よりサービス開始とのこと。 「ヘルプマークは、東京都福祉保健局により作成されたピクトグラムである。義足や人工関節を使用している患者、内部障害や難病の患者、または妊娠初期の女性など、援助や配慮を必要としていることが外見では分からない人々が、周りに
皆さんの質問にお答えするシリーズNo.14は 「お友達っていますか?施設などの方との関係しかないのでしょうか?」 ということで、ご飯を食べていた娘に聞いてみました。 母「お友達っている?」 娘「え?色々いるよ?」 母「色々って?」 娘「趣味が同じとか・・・」 母「なるほど!コナン好きとか、嵐好きとかみたいな?」 娘「そうそう」 母「具体的には誰?」 娘「ナイショ」 ・・・この「ナイショ」は本当に内緒の時と、実はよくわかっていない時のパターンもあるのでよくわかりませんw
皆さんの質問にお答えするシリーズNo.13 「きょうだ児に、ダウン症のことはいつ頃どんなふうに伝えましたか?」 我が家にはダウン症の娘の2歳半下に息子がいます。 小さい時から穏やかな息子なのですが、そんな息子が小学校5年生の時(ダウン症のある娘は中学1年生)下記のようなやりとりがありました。 当時書いたブログより転載します。 ****** 夕飯時、息子が珍しく私の仕事について質問してきたので、私の職場の役割、「障害のある人をサポートする仕事」について、いろいろ説
皆さんのご質問ご質問に答えるシリーズ。 No.12は、「3歳くらいまでで子育てしていて辛かったこと、楽しかったことを教えてください。」 不思議なもので、20年数年経つと、辛かったことってだいぶ忘れてしまう・・・(笑) 楽しかったことは色々思い出せるのですが! 一番辛いというか、大変だったのは2歳半下に生まれた弟の妊婦から出産、産後のじきでしょうか。 里帰りは下の子が3ヶ月くらいになるまでいましたw その後、夫が平日は関西出張、週末だけ帰ってくるという生活が2年くらい
いただいたご質問にお答えするシリーズ。 質問No.11は、「お嬢さんはご自分が、ダウン症であるとご存知ですか?どう受け止めてますか?」 本などには、「本人が聞いてきたら伝えましょう」などと書いてあることもあり、私もこれは一体何時ごろなんだろう?と思って子育てをしてきました。 そして、周りの先輩お母さんにも「本人に伝えましたか?」と聞いてみましたが、「特に話していない」とか「そんなこと考えたこともなかった。わからないんじゃないの?」というお答えもありました。 小学校高学年
今回は、前回の質問からの続きを、番外編として、私が質問にしてお届けしてみます! さて、もっとも鬼婆化していた、算数の宿題を見ていた時。 「ああ、ダウン症のある人は算数苦手って言うけどほんとだな」と思いました。 正確には、数唱や足し算とその答えや、九九の暗記はなんとかできたりします。 しかし、それを日常生活で使えるようになるのはなかなか難しいわけです。 概念理解も難しいので、例えば「あり10匹と象2匹は、どっちが多い?」と聞いたら、「象!」と迷いなく答えるというような
いただいたご質問にお答えするシリーズ。 質問No.9は、「今だから言える『やっておいてよかったこと』『やらなくてもよかったこと』はなんですか?」 細かいことは多分、思い出すともっと色々あると思うのですが、ざっくりいうとこちら! やっておいてよかったことは、「からだの使い方の療育」 娘の時代は今のように色々な療育がなかったので、しっかり受けた療育は就園前の親子療育と「動作法」だけでした。 OTは歩いたら終わり、PTは受けられず、歩き方がなんかペンギン歩きみたいで変だなぁと
いただいた質問にお答えするシリーズNo.8は、「思春期はどんな感じでしたか?」 そもそも、思春期っていつ?ということで、ちょっとググってみました。 以下、京都府のHPから転載・・・ ====== 思春期・青年期は、子どもから大人への脱皮の時期です。 第二次性徴の訪れとともに、からだの発育はめざましく、大人らしいからだつきになります。一方、こころの面でも自分自身に目を向けるようになり、急に親離れを始め、これまでとはちがった価値観を身につけようとします。 さらに、「自分とは
ダウン症のある娘が生まれる前、知的障害のある方たちと関わりがありました。 その時の出来事を個人が特定できないよう改変して、書いてみたいと思います。 * 知的障害のある彼は、とても素敵な色合いの絵画を描く方でした。 障害者アートコンテストでは入賞の常連で、作家バンクに登録するほど。 卒後は事業所には通わず、自宅のアトリエで創作活動をしていました。 しかし、彼のお祖父さんの介護が始まり、お母さんは忙しくなり、在宅の彼に付き合うのが少し大変になってきました。 また、彼
質問にお答えするシリーズNo.7は、「障害福祉や制度、10年で変わりますか?」 「現状を調べていると『これから良くなると思いますよ〜』と言われますが本当にそうだと思いますか?」 というご質問でした。 10年、というワードが出ていたので、今日の質問にまとめさせていただきました。 さて、10年で変わるか。 私の答えは「変わります!」 ただ、いい方に変わることもあれば、意図せず悪い方に変わることもあるのが現状かなと思います。 例えば、多くの方が利用されている放課後等デイサー
いただいたご質問にお答えするシリーズNo.6は、「カレッジ」について。 先日の投稿を見てご質問いただきました。 今娘が通っているのは「ゆたかカレッジ」という事業所です。 いわゆる大学ではなく、福祉の制度を利用した事業所です。 自立訓練・就労移行・今年度からはB型事業所もできました。 室内の雰囲気は、小さな塾のような雰囲気です。(詳しくはブログなどご覧くださいね!)支援学校の高等部のように時間割があります。 1年を通して課題研究をし、論文発表会があります。 娘が高校を卒