「100分de名著」で学ぶブッダ「真理のことば」 」4回目その1
1.前回のおさらい
この世の中は、原因結果の因果関係で動いている。
物事に執着することは苦を生み出し、所詮無意味なものであると知ることで、執着から生み出された苦しみも消える。
そして、自分はこの道を進むんだという正しい意思に従って進めば、執着や煩悩を消す道につながり、苦しみの消滅につながるということを、学びました。
出演者:
司会 --- 堀尾正明さん
アシスタント --- 瀧口友理奈さん
講師 --- 佐々木閑(しずか)さん
2.世界は空なり
ナレーション:
世界は空なり。
私たちが見ているものは常に変化する「かりそめ」の世界。
つまり、「空」であるとブッダは説きました。
その本質を見極めるためには、世の中を客観的に捉えることが大事だと言います。
客観的に真実を見つめる力を養うには、どうしたらいいのか、脳科学にも通ずるブッダの言葉の真意に迫ります。
講師:
自分自身を変えることによって、分かってくるものの見方ということについて、お話をします。
特に今日は「空」というものを取り上げて、お話していきます。
日本の仏教でいう「空」とは、これを知ることにより、仏になるための道が開かれる、大変重大で重い教えとして伝わっていますが、ブッダの教えは、そうではないんです。
人がいろいろな形で世の中を正しく見ていく、その一つのあり方として、物事を空だと見なさい、という教えなんです。
そのようなブッダの空の教えを説いている代表的な例として、仏教世界で一番古いと言われているスッタニパータというお経からお話をご紹介しようと思います。
ナレーション:
それは、モーガラージャという修行僧がどうしたら死を乗り越えられるかを訪ねた時のブッダの言葉です。
『いつも物事の本質を考えるようにして
「ここに自分というものがある」
という思いを取り除き
この世のものは空であると見よ
そうすれば死の苦しみを
越えることができるだろう
このように世界を見る者は
死の王によって
見つけられることがない』
(スッタニパータ)
講師:
これは、自分というものが永遠に存在する絶対的な存在物ではないということです。
私といっても、そこには私という本体はどこにもない。
前回でも申しました通り、いろんな要素が集まってできているのが私ですから、その中には私というものは空っぽだと、言っています。
空というのは、そういう形はあるんだけれども、その中に本質がないことを意味しています。
なぜ実態がないのかといえば、諸行無常、全てのものはいつまでも同じ形で残るものは何一つない、いつも別のものに移り変わっていくからだということです。
アシスタント:
それは、私もずっと変わらないわけはなくて、世の中と一緒で変わってしまうということですかね。
講師:
私というものは昔から一つの存在として続いているように思いますけれども、実際は瞬間瞬間別のものに移り変わっています。
ただ記憶だとかそういうものが引きずって、同じものだと思わせているのです。
そう思うことで、死の苦しみから逃れることができるとしています。
3.ここまでの感想
自分というものは、形としてはあるものだけれども、瞬間瞬間移り変わるもので、実体のない空の存在である。
人の記憶や何かが、私というものが昔から続いている一つの存在であると思い違いをさせていると理解することで、死の苦しみから逃れることができるということを今回学びました。
人が物事に対して苦しみを感じるのは、人は本来、刻一刻と変化するものなのに、記憶が残っているので、昔と変わらないような錯覚をしてしまうからだということが理解できました。
時間は未来に向かって動いていることを考えれば、過去にとらわれることは苦しみにつながります。
自分にとって良い記憶は残っていて欲しいと思うものですが、前に進んだり、成長のためには障害になることもありうることです。
割り切れない部分もあるからこそ、悩みになることもあるのかもしれませんが、自分の記憶とうまく付き合いながら、未来に進めるように行動していきたいものだと思いました。
※NHKオンデマンド、U-NEXTなどの動画サイトで、ご覧いただけるNHK番組「100分de名著」を元に、学んだり、感じたりしたポイントをお伝えしています。
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