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科学なんてものは、とっくの昔に崩壊していたのか

ここのところ科学の不正を暴露する本や記事をよく目にするように思います。COVID-19の狂騒のおかげで、私自身が明確に認識したことも原因かもしれません。科学界の不正は以前から話は出ていますし、ペテン師はどこにでもいるのですが、科学界自身がこれらの問題にどう取り組んでいるのか考えてみたら、相当深刻な問題があるような気がしてきました。心の問題に取り組むにあっては「何が真実か」「何を信頼すべきか」ということは重要な点であるので、今回この問題をご紹介したいと思いました。いくつかタネ本を紹介しておきます。

手近なところでは
・「Science Fictions – あなたが知らない科学の真実」
・「Renaissance – 嘘だらけの科学者たち」
また、
・「白楽の研究者倫理」というWebサイトもあって、こちらでは膨大な具体的事例が整理されています。
他にもたくさんあります。

そもそも専門性が高い分野、例えば「医師vs患者」「弁護士vsクライアント」では、例えば医師の場合、医師側の専門性が高いため委託者である患者を守るために医師法、弁護士の場合は弁護士法などの特別法があります。とは言え究極的には委託者は「ガラス細工」のような「倫理」で守られているに過ぎません。科学論文ではその真実性は査読出版という2つのプロセスに大きく依存していますが、これらも結局は「倫理」で支えられているに過ぎません。問題はそれらが機能していないどころか、むしろ逆に悪用され詐欺の片棒を担いでいるという訳です。
「査読付きの論文」という「印籠」が疑わしいとなれば、科学への信頼を失います。そうなればホントに何を信頼すれば良いのか。ニヒリズムの混沌と混乱がますます進んでいきそうです。

タネ本などからピックアップしたいくつかの事例をご参考までに列挙しておきます。

(1)科学の世界

■科学の目的と手段:

・科学の1つの大きな目的は「事実を見つけ、真実に近づく」ということ。そしてその方法(=手段)は、端的に言えば「査読付き論文」を発表し、集団のコンセンサスを得ながら「知識」と化していくという、ある意味社会的なプロセスと言えます。
・ここで問題は、往々にして起こることだが、本来の手段が目的と化す。つまり査読を得ること、すなわち他の科学者を説得することに重きを置き始める。

■査読とは:

・書き上げた論文は学術誌編集者が当該研究分野に詳しい複数の独立した研究者に査読を打診する。査読者は基本的には匿名。実はこんなシステムは出来てまだ半世紀程度らしい。
・内容の吟味どころか「くだらない」とケチをつけるだけみたいなこともあるらしい。何だか適当感も伝わってくる。
・普通は却下されることも多く、その場合は学術誌を変えたり(その都度「格」は下がっていくようだが)しながら、最終的に承認されて論文が掲載される。
・こんな人的プロセスなので「論文著者」「査読者」「編集者」といった人たちの倫理、即ち「高潔さ」「誠実さ」に科学への信頼がかかっていると言えます。

■不正が許されない分野、それは医学

・「どうせ一部だし大した問題じゃないのでは?」という見方があるかもしれませんが、科学のどこかで基準が緩むと、科学全体の信頼を失うことになりますし、それ以上に人の健康や生命に大きく影響を及ぼす医学・薬学の分野では許されるものでもないでしょう。いくつか例をご紹介します。

例①)一流の学術誌に掲載されたガン研究の53件の画期的な前臨床研究の再現成功率は、アンジェムンというバイオテック企業ではたった6件(=11%)、バイエルではたったの約20%。

例②)2013年にガン研究者が51件の重要な前臨床がん研究から再現実験を試みようとしたが、どの報告にも再現方法がわかるだけの情報が提供されていなかった。しかたなく元研究者にコンタクトをとるも、そのうちの45%は非協力的か、「役に立たなかった」。
その後、臨床試験を含む268本の生物医学論文を無作為抽出したところ、完全な実験プロトコルを報告していたのは1本にすぎなかった。また、実験に使った動物、化学物質、細胞の種類を完全に記述していなかった。

例③)特に酷い事件:2008年~2016年のパオロ・マッキャリーニ事件:※Netflixでドキュメンタリー番組が配信中
2008年:難しいとされるドナーからの気管移植に成功したと一流医学誌LANCETで発表。
2011年:その後、名門カロリンスカ病院に移籍し、今度は完全人工合成気管の移植に成功したと発表。LANCETでも発表。しかし、その蔭で悲劇が進行していた。
⇒最初の患者は論文が受理される7週間前に患者は既に死亡していた。
⇒2人目の手術後3ヶ月で患者が死亡。
⇒その後患者の死亡が相次ぐが隠蔽されていた。そのうちの1人は2年間の悲惨な経過の後に死亡。手術前、彼女には死の危険はなかったのに。
⇒患者遺族は論文と実態のあまりの乖離にカロリンスカ研究所に訴えた。しかし、カロリンスカ研究所は訴えを当初は無視し、口止めし、警察への告発までした。ところが最終的には無視できなくなり第三者による調査開始、マッキャリーニの不正が報告で明らかになったが、事件はそこで終わらなかった。カロリンスカ研究所は独自調査を強行し何と「不正行為はない」と結論付け、LANCETもカロリンスカ研究所を祝福した。
⇒しかしその後スウェーデンでのテレビ番組の告発を受け、さすがのカロリンスカ研究所も誤りを認めざるを得なくなり、LANCETも論文を撤回することになった。その後、刑事告発され、マッキャリーニは無罪を主張し、まだ争っているとか。少なくとも8名が命を落としているようです。
⇒何故、こんなことが起ったのか。マッキャリーニは自分の名声を高めるため。カロリンスカ研究所も国際展開(当時は香港)のための広告塔としてスター医師が役に立った。現実が明らかになった後も、あまりのことに隠蔽せざるを得なくなった。

・科学は本来懐疑主義であるべきなのに、信頼主義で成り立っていた。そしてそんな信頼は簡単に崩れる。「人」だけでなく、組織も同様。マッキャリーニ事件では本来は牽制役となるべき「カロリンスカ研究所」「LANCET」という権威が結果的に加担してしまった。「科学とは本来客観的で、不正行為など受け入れられない誠実なものだ」というイメージが仇となっている面もあろう(あれ?どこかの国の官僚みたい)。悪人はどこにでも現れるが、それをどう抑えるかが組織や業界の責任であろう。しかし、それが機能していない。特に人の命に係わるところで。
結局のところ関係者全員による「社会的信頼の裏切り」である。
【詐欺師】人々が期待と信頼を寄せて行った投資を弄ぶ
【学術誌】見栄えの良い結果だけを求める。詐欺師を助長している
【学術誌編集者】不正が明らかになっても不本意でる的な態度を取り、対応は消極的。
【大学】調査は遅い、時に詐欺師を擁護し、逆に内部告発者を追い詰める。
COVIDの狂騒を見てたら何も変わってない気がする。

単なる一人の犯罪者の犯罪という部分ではなく、本来止めることが出来た或いは止めるべき組織の倫理が崩壊しているところに問題がある。今回のCOVIDでいろいろ明らかになった感があります。当初は「ホントにここまでやる!?」と私も信じられなかったのですが、以前から既に腐敗していて、そんな土壌が出来上がっていたということなら「なるほど」と腑に落ちました。そして恐ろしいのは、「我々が知っているのはほんの一部ではないだろうか?」ということです。

(2)不正の手口

不正の手口はいろいろ挙げられているが、例えば、

1)アホな手口:Painted Mouse事件
例)黒マウスの皮膚を特殊な培地につけて培養したものを白マウスに移植したが拒絶反応が起きなかったと発表した。
⇒実際には白マウスの皮膚の一部をサインペンで黒く塗ったものだったことがバレた。
⇒この事件以降、「Painting the mice(マウスを塗る)」という言葉が「研究詐欺」の意味で使われるようになる。

2)画像操作
例)STAP細胞事件や韓国でのファン・ウソク事件のような、これほど単純な偽物が世界トップクラスの学術誌の審査を通過すること自体が業界の堕落を示している。他の知名度の低い学術誌ではどうなっていることやら。
・2016年にエリザベス・ビク(生物学者)たちが20,621本の生物学系の論文を精査したところ、3.8%に問題のある画像が使われていた。多くは単純ミスらしいが、その後10%の論文が撤回されているのはどうしてだろう。更に、問題のある論文の著者の別の論文では40%弱の確率で画像操作があった。これは明らかに不正であろう。

3)数字の操作、統計結果の操作。
自然から取り出したデータには必ずノイズ(ゆらぎ=測定誤差)やサンプリング誤差(=標本誤差)があり、これを避けることはできない。
結果が先にある場合は、結果が認められる程度にまで実験やデータを操作する。
但し、逆にこれを利用するとデータ不正を見つけることもできる。ランダウで自然なデータを創作するのは案外難しい。

(3)何故起こるのか。

■研究資金獲得:

・やはりまずはカネ。いいアイデアがひらめいても、科学は実験によって仮説検証を行う必要がある。その場合の最初のハードルは研究資金である。自腹で賄えることはほとんどなく、公的又は民間の研究助成金を得なければならない。多くの科学者が苦労しているのは実はコレだとか。
・製薬会社からの資金提供が多い。実に登録された支援の1/3強が製薬会社からの資金提供を受けている。

■バイアス
全投稿でも説明しましたが、このバイアスというものから逃れるのは相当難しい。バイアスは見落としがちで真実と希望的観測が入り混じったものになっている。

■科学者の行き過ぎた情熱

・善意の科学者が自分の研究成果で世の中に貢献したいと考え、大多数の科学者が無視している理論や仮説の真実と重要性を情熱的に信じてしまい、自分が信じている研究で期待外れの結果が出て研究偽装に走った。ということも少なくないだろう。これは医学に限らず、ビジネスでも新規事業企画の時に市場を過大見積したり、ユーザー調査を弄ったりすることがある。
・そんな科学者の行き過ぎた情熱が「p値ハッキング」という技を生んでしまう。p値ハッキングとは、実験の分析を何度も繰り返し、その都度手法やデータセットを変えて(異常値を削除するとか)、p値が0.05を下回ったところで止めるやり方である。
・あれほど騒がれた認知症の原因としての「アミロイドカスケード」仮説も疑われている。症状との関連は否定されないが、原因としては認められてはいない。つまり認知症とアミロイドベータは同じ原因の異なる結果ならアミロイドベータをターゲットにしても無駄ということになる。

■過失

・怠慢、見落とし、不注意による過失、或いは誤りを組み込んでしまうような過失はあまりにも多い。これははっきり言って「無能」としか言えない。
・ミシェル・ナウテンが1985~2013年の心理学関連主要8誌の3万件以上の論文を「スタットチェック」すると、軽微なものを除いても、13%で結論を変えてしまうほどの間違いが見つかった。その多くは論文筆者に有利な結果になっているものが多い。
・20人の被験者を使った著名な論文でも、スコアの平均値が平気で3.08とあり得ない数字になっていたりする。
・2017年カーライルが8つの学術誌の5087件の論文の「ランダム化」を調べたところ、5%に疑わしいデータを発見し、結果数百件の結果が無意味になったかもしれない試験を見つけている。
・細胞株を用いる実験では他株の混入や株間違いが多く、2017年に行われた分析では、32,755(うち、米国事例が36%)件で誤りが見つかり、それらを引用した論文は50万件を超えていた。しかし、本当に問題なのは、科学界は半世紀以上この問題に寛容であったことで、さらに内部告発者を「自称自警団」と暗に非難するケースもあった。

■統計理論の無知又は無視

・2015年、マルコム・マクラウドが動物実験で「盲検化」が行われているか調査したところ、盲検化を使用したと報告しているのは30%に過ぎなかった。また、サンプル数(動物の数)を決めたプロセスを提示しているのは0.7%に過ぎない。ここで問題なのは、1つは「p値ハッキング」で事前にサンプル数を決めてなければp値<0.05を達成するまで何度でもテストできてしまう。もう1つは「検定力」で、前述のように標本サイズが大きいほどランダムなノイズは打ち消し合うが、標本サイズ小さいと結果への信頼性は下がる。多くの研究で検定力が小さすぎるように見える。

・2000年代初め、候補遺伝子研究(認知機能やうつ病などの疾病と特定の遺伝子の関係)が盛んなこの頃に多くの候補遺伝子が「発見」された。しかし、後にGWAS(ゲノムワイド関連解析)という従来よりはるかに高い検定力を持つ手法では否定された。特に、IQスコア、鬱病、統合失調症ではNULLの結果だった。恐らく、以前に見えた大きな効果は異常値か標本誤差だったのだろう。

■誇張

・2010年のNASAの「砒素生命体」事件では、モノ湖という強塩湖のバクテリアがリンを猛毒の砒素に変えて生き延びていると「サイエンス」で発表したが、誰も再現できず結論はコンタミと推定されている。NASAの過剰な宣伝も問題視されている。
・NASAは結局自らの論文の価値を下げてしまったが、要因は経済的な圧力という面もあったであろう。資金提供者に価値を認めさせるために派手な研究結果を好む。
・発端はNASAのプレスリリースであるが、プレスリリースは科学論文より結果を誇張し勝ちです。プレスリリースは短絡的、飛躍的(ネズミでの結果がさも人間に適用されるかのような)、単なる相関関係を因果関係と説明しがちであるので要注意。それがマスコミの誇張表現にもつながっていく。

■学術界の雇用事情

・学術界の雇用市場では採用・昇進の判断は履歴書に並ぶ論文の数とどの学術誌に掲載されているかが重要。それは雇用側もプレッシャーに晒されていて、在籍研究者の発表する論文の「権威」で政府からランク付けされる。科学者は総労働時間の8%程度を助成金申請書作成に費やしている。更に人間の本性として地位・名声を求めて競争に身を投じ、評判を上げる努力をする。
・こういうインセンティブは間違ってはいないが、巧妙に悪用する輩は存在する。例えば、サラミスライス(1組の科学的結果を多くの論文に分割して出版する)。論文数が増加する。製薬会社の研究者なら支持論文が多いほど有利と考えるだろう。
・科学者が自分で査読者を推薦できる制度がある。最悪は自分自身をこっそり査読者にすることも起こり得る。
・科学者の5人に1人は「強制引用」を求められたことがあるらしい。あるいは引用カルテルを立ち上げて相互引用を図る科学者も出始めた。

⇒似たようなことは、科学のどの分野でも起きていそうだ。科学の理想は査読と出版という社会的プロセスで誤りが排除されて科学的事実が世界に共有されることだったが、現実はそんな理想とはかけ離れている。

(4)治せるだろうか?

いろいろな提案がされている。例えば、
・最初に必要な変化は、不正行為を名指しで糾弾することかもしれない。
・データの偽造や画像の複製などを見破るアルゴリズムも有効かもしれない。
・「統計的有意」を手放せるか。→統計だけの問題ではなかろう。人間の本性の問題だから。
・事前登録も有効だが決め手にはならない。
・オープンサイエンスは、科学的プロセスのどの部分にでも可能な限りアクセスを許すという考え方。
→すべてがOpenにできない場合も想定される。「ウイルスの機能強化」のような研究は悪用されてはいけない。
・より大きなプロジェクトにする「チームサイエンス」
・一般の人々にも開放する。多くは税金で賄われているはずだから。

とはいうものの、どれも決め手には欠ける。結局それは最終的には「人の倫理」に依存することになるからであろう。倫理の再構築がここでも求められている。