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13年前の日記に「膝」が!!

clubhouseで2021年5月31日から続いている、わたしの短編小説「膝枕」の朗読と二次創作のリレー(#膝枕リレー)のおかげで、「膝」という単語には反射的に反応してしまう。人呼んで「膝反射」。

古い日記の目次を眺めていたら「イランでは女性の膝の屈伸は卑猥です」というタイトルが目に留まり、膝がピクッと動いた。

日記の日付は2011年08月21日(日)。
13年前。ひ・ざ‼︎

13という数字に歓喜する未来をまだ知らなかったその夏、大学時代からの友人U君が当時赴任していたイランから一時帰国し、鎌倉の友人宅に集まって飲み明かした。そのときに「イランでは女性の膝の屈伸は卑猥とされる」という話を聞いた。

イランは治安が良いのに日本からの観光客は非常に少ないと今やすっかりイランに魅せられているU君は嘆いていた。たしかに中東の政情不安と一緒くたになって、イランも危険という先入観をわたしも持ってしまっていたが、U君の住んでいる首都テヘランでも、夜は散歩する人たちがたくさんいて、皆さんおしゃべりを楽しみながらそぞろ歩きしているという。

自由を謳歌する市民の様子を報告する流れだったか、テヘランで最近レンタサイクルが始まったという話になった。ただし貸し出しは男性のみ。その理由は、

女性の屈伸は卑猥だから。

冗談でしょと驚くと、「イランでは女性が膝を曲げるのは卑猥とされている」とU君はもう一度真顔で言った。酔いにまかせた冗談ではないらしいが、こちらは酔いが覚めそうだ。

スキーの回転も「カーブするときに膝を曲げるから女性はやるべきではない」という声があるという。本気なのか⁉︎

「じゃあ直滑降ならいいの?」
「膝を曲げなければいいんじゃないかな」

イランではこんな風に女性の膝の角度をめぐってアウトかセーフか真面目に議論しているのだろうか。女性の大学進学率は上昇しているというが、国際的常識を知った女性たちからの反発はないのだろうか。楯突くより受け入れて折り合いをつけようと頭のいい人は考えるのだろうか。

と13年前のわたしは困惑していた。

妄想をかき立てる屈伸禁止令

膝談義は深夜まで続いた。U君によると、「女性の膝屈伸は卑猥である」というのは、何十年も前にイランのイスラム教の僧侶たちが会議で話し合って決めたことなのだという。

一体どんな経緯で決定がなされたのか。
13年前のわたしは会議を想像してみた。

「女性のどういう姿が卑猥だと思われますか?」と司会者が一同を見回す。

テーブルに着いているのは全員男性だ。出席者は一様に目を伏せ、誰かが発言するのを待つ。重苦しい沈黙の後、一人が遠慮がちに手を挙げる。

「あの……わたくしは女性の膝が曲がるのが……どうも……非常に……たまらなく……」

その告白に勇気を得て、次の出席者が発言する。

「実は、わたくしも……」
「おお、あなたもですか」

あなたも、あなたも、あなたも。

賛同者が続く。膝ごときではビクともしませんよと余裕ぶっていた出席者たちが焦り出す。

「屈伸でコーフンしないのは、おかしいのでは」

そうだ、アウトだ、アウトだ、アウトだ。
取り締まらなくては。

オセロが次々とひっくり返るように、シロがクロになる。かくして満場一致で屈伸が禁止されることとなった……。

屈伸禁止令は今

「妄想をかきたてる屈伸禁止令。コメディ映画のネタになりそうだけど、イランでは撮影許可が下りないかしら」と日記を締めくくったが、撮影はできても上映許可が下りないかもしれない。

あれから13年。屈伸禁止令はどうなったのだろう。

2022年9月にはテヘランで頭髪を適切に覆っていなかった女性が道徳警察に逮捕され、警官からの暴力を受け、数日後に亡くなった。葬儀ではヒジャブ(髪を覆うスカーフ)を脱ぎ捨てて抗議する女性たちの姿があった。

2023年にはイランの女性活動家にノーベル平和賞が与えられたが、イラン政府は迷惑そうだ。

女性を取り巻く信じられないような不条理は今も残っていると思われる。

日記に登場するU君は毎日新聞の記者で、2009年10月から2013年3月までの3年半、テヘラン特派員を務めた鵜塚健君。メッセージを送り、「屈伸禁止令、今どうなってる?」を聞いてみた。

卑猥な屈伸…。そんな話をしたことも忘れてしまいました、笑。ただ、帰国後の2016年段階で、改めてファトワ(宗教令)を出して徹底していますね。ただ、その後、乗っている人はじわじわ増えているようです。

鵜塚健君からのメッセージ

2016年に改めて出された宗教令を受けての記事がこちら。

《自転車「禁止」に女性動揺 イラン、最高指導者が見解》のタイトルで、公共の場所で女性が自転車に乗るのは「男性の関心を引き、社会の堕落を招く恐れがある」とあり、「女性が自転車に乗るのを許されるのは、知らない男性の目に触れない場所に限られる」との見解が示されている。

「屈伸が卑猥」という表現ではないが、「女性が自転車を漕ぐのは男性を誘惑している」という解釈。

「知らない男性の目に触れない場所」って、人通りのない道とか、森の中とか?

禁止ばかりじゃない

自転車禁止の宗教令があらためて出された2016年は8年前。その後、どうなったかはまだ確認できていないが、2年前にヘジャブの取り締まりを受けた女性が死亡して以降、取り締まりに変化があったという。

イラン都市部では、ヘジャブ(スカーフ)を着用しないのが当たり前に(私がいたときでは、信じられないですが)なりました。ただ、つい最近、現地に聞いたところでは、また一部で宗教警察が取り締まりを強化しているという話も。女性への締め付けは一進一退で、じわじわ緩んでいるのかと。

鵜塚健君からのメッセージ

また、イランでは今、マウンテンバイクの女性チームが活躍しているらしい、とニュース記事を送ってくれた。

競技用のウエアはぴっちりしているはずだから、余計に卑猥なはずですが、容認?しているのでしょう。宗教上、原則禁止だけど、完全には取り締まれていないというのが現状かと思います。

鵜塚健君からのメッセージ

あと、イランは自転車は禁止する一方で、女性の自動車運転はだいぶ昔から許されています。日本より車を運転する女性は格段に多いです。対照的にサウジは近年まで車の運転すら禁止しているのに、欧米メディアはイランの女性抑圧ばかり批判している、という面もあります。

鵜塚健君からのメッセージ

「女性は自転車禁止」だけに気を取られると、何もかもが禁止され、抑圧される一方のような印象を受けてしまうが、実際にはマウンテンバイクの女性チームが活躍したり、自動車を運転する女性は日本より多かったりする。当たり前だが、一部が全部ではない。一つの側面だけを見て全体を判断してはいけないとあらためて思う。

イラン国内でも、地域によって受容度は違うだろう。一進一退を繰り返して、少しずつ緩んでいく。そのうち「女性は自転車に乗っちゃいけない、なんて時代もあってね」「屈伸が卑猥? 何それ?」と昔話を笑い合えるようになるだろうか。

イランとイスラエル

今も「イランを見て欲しい、知って欲しい」と熱く思っている鵜塚君。特派員時代に見聞きしたイランを綴った本を集英社新書から出している。

イランの野望  浮上する「シーア派大国」

タイトルはとっつきにくいが、女性のカーレーサーや映画監督の話にもふれ、イランの素顔をのぞくことができる。

中東の「勝ち組」は、どこへ向かうのか
欧米、ロシア、中国、シリア、サウジ、イスラエル、IS……
この国をめぐって、様々な思惑がうごめく!


二〇一五年七月、欧米諸国との核開発問題協議が劇的な「合意」に達した。これによって、イランは国際社会のキープレイヤーとして大きく浮上する。シーア派イスラム大国として中東地域の「勝ち組」となり、「反米」というスタンスを利用しながら諸外国としたたかに渡り合い、シリア情勢の「黒幕」として暗躍するイラン。特派員として現地に駐在し、政治状況から庶民のメンタリティにまで精通する著者が、世界情勢を読み解くポイントとなるこの国の「素顔」と「野望」について詳細にリポートする。

イランの野望 浮上する「シーア派大国」

この本を読めば、中東情勢のニュースの受け止め方が、ちょっと変わるはず。

となると、気になるのは最近のニュース。

イスラエルがイランを攻撃し、イランが報復。

イランはイスラエルにお灸を据えようとしているのか、首を突っ込んでいるだけなのか、どうとらえたら良いのでしょう。

「12年前の原稿ですが、最近サイトに再掲載されました」と返信で鵜塚君が送ってくれた毎日新聞の記事のタイトルは、「不倶戴天」だけではないイランとイスラエルの関係

今でこそ「不倶戴天ふぐたいてん」の敵同士のように語られるイランとイスラエルだが、歴史的に見ればそう単純ではない。イランではユダヤ教徒がイスラム教徒と共存し、イスラエルにもイラン出身者が多数いる。

「不倶戴天」だけではないイランとイスラエルの関係 

と記事は始まる。イラン向けにペルシャ語でニュースを放送するイスラエル放送(ラジオ)の番組ホストは、20歳でイスラエルへ移住したイラン生まれのユダヤ人。祖国イランと1979年のイスラム革命以後のイランの政治体制を分けて考え、「二つの国を父と母のように愛している」と話す。イランとイスラエルという国と国だけでなく、イランという国の今と以前に引き裂かれている。

さらに、イスラエル国民の対イラン観を「作られたイラノフォビア(イラン恐怖症)」という指摘が興味深い。

イスラエルのベングリオン大のハガイ・ラム教授(中東学)は、国民の対イラン観を「作られたイラノフォビア(イラン恐怖症)だ」と断言する。「民族形成には、自己を定義する他者が必要」。多様な解釈の可能な聖書物語も使い「他者」を作った。長年の敵アラブの大国エジプトと79年に平和条約を結んだ結果、イランが新しい「恐怖」とされた。政府、メディア、国民による共犯だという。

「不倶戴天」だけではないイランとイスラエルの関係 

「イランとイスラエルは、米国を介し、作られた政治対立で、宗教対立でも民族対立でもありません」と鵜塚君。

イランとイスラエルだけでなく、世界のあちこちで対立感情が作られ、煽られている。「政府、メディア、国民による共犯」に加担しないために、自分が知り得た情報が出口ではなく入口(とっかかり)だという意識を持っておきたい。

「不倶戴天」は連名記事で、一緒に書いたのは当時エルサレム特派員だった花岡洋二記者。大学の同窓だと聞いて、「もしかしてサイクリング部の?」と聞くと当たり。体育会関係の合宿で知り合い、交流があった人だ。自転車禁止令を深掘りしていったら、サイクリング部の花岡君に辿り着いた。

何がどこでどうつながるかわからないが、アンテナに引っかかったことを「なんで?」「そんで?」と掘り下げることで、点と点はつながりやすくなる。

とっかかりは何でもいい。膝でもいい。

タイトル画像「薔薇と膝枕」について

タイトル画像に選んだのは、一輪の薔薇を活けた焼きものの膝枕カップ。茎を支えるように咲き終えた花びらを敷き詰めて。芸術と実用を兼ね備えたカップは短編小説「膝枕」の遊びに乗っかって、座付き作家ならぬ膝付き作家はたまたヒザーポッターを名乗り、檀上尚亮さん作。花を包んでいた紙を重ねてカップの絨毯に。荒く漉いた繊維のような白銀の紙。その下に敷いた真紅の紙が透けて見えてみる。

イスラム革命の前と後

6月4日追記。Twitterで「イスラム革命の前のイラン」Iran before the Islamic Revolution (1979)の動画が流れてきた。

ツリーにも写真が。ヒジャブをかぶらず、膝を出し、膝を曲げ、海ではビキニ。自転車も心置きなく乗っていたのではないだろうか。

イスラム革命は1978年1月に始まり、1979年の2月に終わったらしい。革命の後に締めつけが厳しくなったということだろうか。ずっとそういう国だったのではなく、ここ半世紀のこと。

膝、出てますね。


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。