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「どうせ俺なんか……」の無限ループにはまって|連載『「ちょうどいい加減」で生きる。』うつ病体験記

本文中に、うつの症状やリストカットに関する記述があります。そうした内容により、精神的なストレスを感じられる方がいらっしゃる可能性もありますので、ご無理のない範囲でお読みいただくよう宜しくお願い致します。

ほんとうにしんどいときに希望の声を聞くと、私の体はそれをはね返そうとします。耳鳴りがするかのようです。うつ病の人に「頑張れ」と言ってはならないとはよく聞きますが、私にとって「頑張れ」は、体内に手榴弾をぶち込まれて爆破されるような威力をもっていました。励まされれば、ギュッと胸が締めつけられ、苦しくなります。音楽家ベートヴェンが大切にしたとされる言葉に「悩みをつき抜けて歓喜に到れ!」という名句がありますが、多くの人に希望をもたらしたこの言葉も、私にとってはまったく関係のない綺麗ごとです。「ああ、『到れ!』とは何とうるさい命令だろうか!」

スーパー・ネガティブ人間の私

うつ病と診断されて以降、私は一気に転落。すっかり引きこもりになりました。職場からは長期休養の指示がありました。極寒の2月です。ひとり暮らしの家は、とても寒々しいものでした。掃除もしなくなり、あっという間に室内はゴミ屋敷になりました。風呂に入る力も出ず、ひたすら布団に入りっぱなしです。髪も伸び放題。ヒゲもぼうぼう。そんななかでも思考は激しくめぐります。

「社会人として何の生産性もない俺はクズだ」
「人に迷惑ばかりかけて……消えたい」
「このまま凍死できないかな」
「どうせ俺のことなんか誰も心配してないんだろう」
「同僚は俺のことを悪く噂してるに決まってる」
「俺は『穀つぶし』だ。貴重な食べ物を俺が食べるくらいなら、恵まれない人たちにその食料を渡して、俺は死んだ方がマシだ。世のためだ」

いま思い返しても、暗い。果てしなく暗い。まるで絶望作家フランツ・カフカのようです。私は呪文のようにして恨み節を心のなかで唱えつづけました。

部屋中を布やガムテープで覆う奇行へ

体調の異変は続きました。

それまで時々テレビをつけていた私でしたが(見るわけでもないのに)、ある日突然「音」が怖くなります。誰かの声や物音が耳に入ってくるだけで、不安で全身がしびれてしまうのです。テレビがつけられなくなりました。さらに私は「光」もダメになりました。まぶしさに圧迫感を抱いてしまうのです。私は恐怖にかられ、家のなかをぶつぶつ言いながら徘徊し、思い立つとすぐ、窓という窓を布とガムテープで覆いました。外界から部屋を遮断し、音も光も入ってこられないようにしました。そして私は、布団にもぐり込んで、耳を塞ぎ、ぶるぶる震えました。

まるで世界が私を責めているかのようでした。このときせいぜいできたのは、トイレと、それから歩いて数十歩のところにあるコンビニに深夜に行くことくらいです。自身のことを「穀つぶし」と自称し、偶然的に死ぬことを期待していた一方で、しかし私は、食べ物はとっていました。死にたいと生きたいの狭間にいたのかもしれません。

リストカットを繰り返す

これは冗談抜きですけれど、闘病13年間で私は、「死にたい」という呪文をおそらく10万回くらい唱えたと思います。そんな呪文を唱えながら、引きこもりの私の身は――俳人・正岡子規ではないですけれど――「病床六尺」、まさに畳「一畳分」のスペースにおさまったままでいました。とにかく、何もしない。何もできない。そして、何もできない自分をクズだと責めました。正岡子規は「六尺の病床すら広すぎる。歌や絵を創造するのに六尺も要らぬ」とばかりに病の身で創作活動に没頭しましたが、一方の私は、やっと身を起こすことができたときに、リストカットを繰り返しました。何もできないとはいいつつも、手首には意識が向けられたのです。次々と刻印される「ためらい傷」。それを見て真顔でため息をつく。その瞬間、私はどんな表情をしていたのでしょうね。

リストカットは私にとって、かたち的に言うと「花占い」のようなものだったのかもしれません。好き? 嫌い? 好き? 嫌い? 好き?……と言いながら、花びらを一枚一枚ちぎっていく。それと同じように、死ぬ? 生きる? 死ぬ? 生きる? 死ぬ? 生きる?……と唱えながら手首にモノをあてて滑らせていた。時々強く滑らせて手首に傷がつくとなぜか安心したのを覚えています(注意してほしいのですが、こういったメンタリティがあるとはいえ、リストカットは危険行為で、死と無縁ではありません!)。

うつ病とは闘ってはならない?

ただし、このときの私に前向きな願望がまったくなかったわけではありません。「病気を治したい」という願いは抱いていました。ですので、医師からもらった薬はしっかり飲んでいました。睡眠薬のおかげで眠ることもできました。「泥のように寝る」の連続だったため、現在が昼なのか夜なのかすらわからないようになっていましたが、いわば「闘病の意思」はあったのです。

しかし、振り返ってみると、闘病というスタンスは決していいものではなかったと思います。「病と闘う」ということは、ある意味で「闘おう」というモチベーションがないとできない構えです。ところがうつ病は、その「闘おう」というモチベーションがゼロになる病気といえます。やる気がとにかく、出ない。そこを無理やり「俺は闘う!」「この病を克服してやろう!」としてしまうと、反動で体調がガクッと悪くなってしまいます。

そう、ある意味で「うつ病に対しては頑張って闘おうとしてはいけない」のです。先にも少し述べましたが、私には妙な責任感がありました。激しい倦怠感にさいなまれながらも、早く職場復帰しなければと考えていました。この焦りが自分を追い込み、病状をますます悪化させました。

とにかく、焦ってはいけない。作家デュマの『モンテ・クリスト伯』ではないですけれど、「待て、しかして希望せよ」みたいな姿勢が良かったのかもしれません。そのような境地に至るまでには、何年もの時間を要するわけですが……。

結局わたしは、2005年の春先になって自殺念慮にかられ、実行に進もうということになります。

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