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セールス&マーケティングの戦略プロフェッショナル・桑野範久の寄り道自分史|インタビュー(聞き手:ライター正木伸城)

ブルーオーシャン(=競争相手のいない未開拓市場)をいち早く発見し、事業の手を打つ。経営の常套手段だ。未着手領域を見いだすことは容易ではない。ましてやプロダクト開発から売れる仕組みづくり、会社組織の構築・運営までをも実行しようとなると、ブルーオーシャン戦略は結局「言うは易(やす)く、行うは難(かた)し」となるのが関の山である。

桑野範久くわののりひさ)さん(AIQVE ONE株式会社・セールス&マーケティング部部長)は、そんな「行うは難し」を実践している名プレーヤーだ。彼は営業に軸足を置きながら、ゲーム業界で今まさにブルーオーシャン戦略の攻勢に出ている。彼はまた、売れる仕組み・体制づくりのトータルディレクションを行うこともできる名マネージャーでもある。

彼の思想が、興味深い。本記事では、彼の人生遍歴をインタビュー形式で掲載する。読者は思わず膝を打つことになるだろう。

新卒ニートから「クラブイベンター」へ

――ゲーム業界で"いよいよ"の桑野範久さんですが、もともとは新卒でニートだったそうですね。

結構ギリギリの過去が多くて(笑)。たとえば僕って、中・高・大一貫の"日大附属"中学に入学したんですけど、大学の推薦入学のレールに乗れなかったんです。吹奏楽に熱中して成績的に落ちこぼれで、結果、推薦枠ではなく"外"から受験して専修大学に入りました。でも、今度は大学で留年するっていう(笑)。となると普通に就職するのが困難になる。なので僕は、お台場のソウルトレイン・カフェでアルバイトを始めました。

――就職の前にモラトリアムというか、アルバイトを始められた。

そうそう。同カフェはイメージ的には「昼はレストラン」「夜はクラブ」になる、みたいな飲食店です。J-WAVEも当時出資していて「SOULTRAIN」というラジオ番組も放送されていました。大学時代にジャズサークルにいた僕は、ブラックミュージックを演奏していたので「ここは」と思って働き始めたんです。そこで、就活の時期に出会った友だちと「イベントをやろう」ということになって。具体的には「SOULTRAIN」のリスナーを集めてイベントを開こうという話になりました。番組MCのRYUさんに出演の直談判をしにクラブに足を運びましたね。最終的にはRYUさんにもご参画いただきましたし、J-WAVEにも開催意図を伝えて、ラジオ番組で、送ったFAXを読んでいただき宣伝してもらいました。

――行動力がありますね(笑)。

で、イベントにハマって大学に行かなくなり(笑)。一方の就職活動も全然ダメでした。ただ、ソウルトレイン・カフェに関連してのイベント経験は、のちにすごく活きました。特にライブは盛り上がった。Tony! Toni! Tone!(トニトニトニ)やロイエアーズとかガチのやつもやったし、J-WAVE企画のものもやりました。売れる前のEXILE(当時のJ SOUL BROTHERS)さんやSkoop On Somebodyさんなどがライブをしてくれました。僕が担っていたのは、ラジオ局、イベント会社、PAさんなどの間に立った"調整役"の一部でしたけど、それが楽しくて段々と「『イベントが仕事』でいいじゃん」って気持ちになりましたね。

――いわば「やりたいことで生きていく」がどハマりしたわけですね。

保険の代理店で初の「営業」を経験

ところが、ソウルトレイン・カフェが潰れちゃうんです。急にやりたいことがなくなっちゃった。その後、クラブや飲食店でバイトをしたりバーテンダーをやったりしましたが、そこに「父が働いていた会社が民事再生を余儀なくされる」って事態まで起こって。そのタイミングで、父の仕事を手伝うみたいな形で保険代理店の世界に足を踏み入れることになります。まずは研修期間の1年間、営業先の新規開拓とか、代理店が引き離しちゃったお客さんや父の紹介なんかで成果を出しました。

――初めての営業経験で、いきなり成果が出せちゃうんだ。

でも、将来への不安はありました。研修を終えても安定的な収入が保証されるわけではないですし。代理店は個人事業主みたいなものでサラリーマンではないですから、仕事は自分でつくっていかなきゃいけない。当時は25、26歳くらいです。何もかもが不慣れで、この時はメンタルをすごく病みました。それで代理店の仕事もうまく回せなくなってしまうし、「俺、このままじゃやべぇな」って本気で思いました。稼ぎがないからキャバクラの送りのバイトもしましたね。

――おおお……。

かといって、就活(転職活動)をしても、うまくいく可能性は低かった。そんな時に僕に引っかかってくれた会社があったんです。履歴書に書いていた「営業」という文字に目をつけて、「まさに今、営業を募集してるから」って声をかけてくれた。

ゲーム業界へ転身。デバッグの営業で"先行者"に

その会社が、現・デジタルハーツです。当時はベンチャーで、雑居ビルみたいなところにオフィスがありました。「うちは上場目指してるから」って熱く語る社長が印象的で。僕も「上場かあ。俺も、やったろう!」って気持ちになりました。ここで初めて、僕の「今」につながるゲーム業界に入ります。完全な新参者でしたけどね。扱う商材の、それこそ「デバッグ」なんて単語すら聞いたこともなかったですから。

――「デバッグ」は、ゲームやソフトウェアのテストのことですね。バグなんかを発見したりする。

そうです。ただ、当時すでにゲーム開発会社などに足を運んでも、先輩社員が営業先としてすでに開拓していたということがほとんどだったんです。営業目線で捉えれば「ここで戦っていたら、先は見えないな」って正直思いました。

――営業的に、ブルーオーシャンを開拓しなければいけない。

ちょうどその頃です。携帯電話(ガラケー)でもゲームの実装が始まったんです。携帯ゲームが伸びていくであろうことは、僕にもありありとわかりました。ドワンゴやインデックスといった会社もグイグイ来ていた。そこで僕は、「同じような企業がこれからも増えてくるはずだから、先に手を伸ばしておいたほうがいい」と考えて、コンテンツプロバイダー等を洗いざらいリサーチし、メールや電話をリスト化してデバッグの営業を一気にかけました。もちろん社内に携帯ゲームの新規営業のノウハウはありませんので、営業は一人考えて回しました。この時に「先行者利益(=誰よりも早く新しい市場に参入したりすることで、利益を先行的に得て市場における優位な立場を確立すること)」の重要性を知りました。競合他社より僕は「ちょっとだけ早かった」と思うんです。その「ちょっと」が、後々有意な差になってしまう。

――「先行者になる」と言っても、これもまた「言うは易く、行うは難し」です。

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その後、デジタルハーツでは、大阪営業所の立ち上げに関わらせていただき、営業を採用してチームビルディングをして……。それが2006年頃だったと思います。会社もマザーズに上場しました。

――当初の目標だった「上場」も果たした。

自分のしたことで世界が進むというドライブ感

デジタルハーツでは、企業の成長フェーズにおける大切なポイントをひと通り経験させてもらいました。感謝しています。その後、僕自身は開発のことも学びたいという気持ちがあり、現・ゲームスタジオ(「星のドラゴンクエスト」等を開発)に声をかけてもらって転職しました。ですが、セールスマンとしての原点はデジタルハーツにあります。追求していたのは「『自分がやった分だけ会社が成長していく』という『ドライブ感』が味わえるかどうか」です。ヘッドハントの声がかかるたびに、そこは天秤にかけています。心のどこかに「会社に安住する」みたいなマインドに居直れない自分がいるのでしょう。しばらくして、またその血が騒ぎ、株式会社SHIFTにも入ることになります。

――いま仕事についての「マインド」の話が出ましたが、ビジネスにおいて桑野さんは、たとえば「自分のしたことがリターンとなって返ってくる」といった「手応え」、そこからわいてくる「やりがい」を大切にされているんですね。

報酬とかは別にいいんです(嘘ですw。それが一番大事です)。ただ、繰り返しになりますけど、安定的なところに安住するというのが性に合わないというか。自分のしたことが会社や世間に還元されて「こういう感じで世界が進んだ」という手応えが感じられたら最高だなと。それがなければ、僕って「別に俺じゃなくてもできるじゃん」って、つまらなくなっちゃうんですよ。やっぱりやるからには「誰もやったことがないこと」がしたい。いま僕が進めているゲームテストのセールスのビジネスモデルも、まだ業界で「誰もしたことがないかたち」なんです(詳細は後述)。

ゲームテストの体制づくりを一から推進する

――それで、株式会社SHIFTに入社するわけですが、SHIFTといえば、私の認識では今や大企業です。「自分のしたことで世界が進むというドライブ感」は感じられましたか?

SHIFTには約3年間いましたが、当時ゲーム業界にはまだその名が浸透していませんでした。ところが、デバッグ業界的にはアウトソースのテスト会社が増えて、デジタルハーツをはじめ複数社がしのぎを削っていた。市場は飽和状態。まさにレッドオーシャンだったんです。だからこそ、逆に僕は燃えましたけどね。SHIFTの名をとどろかせようと。

あの頃のゲームテストの現場は、まだ人海戦術でした。テストの自動化という発想はすでにありましたが、実際はなかなか進んでいなかったんです。なので、SHIFTのテスト手法をゲーム業界に取り入れたら役立つだろうと思って営業で仕掛けまくりました。今ではゲームテストの分野で「SHIFT」は必ず出る名前になっていますね。嬉しいです。

また、僕のSHIFT時代の後半は、VR(=仮想現実)のテストサービスに携わり、セミナーや勉強会などを開きました。そこからVR関連の方々とのおつき合いも増え、短い期間でしたがVRの会社にもいました。そこでは広報業務を担いましたね。

――VRの会社! しかも担当したのが営業でもマーケでもなく広報だったという……。

それで僕、気づいたんです。「あ、やっぱり自分は営業なんだな」って。違う職種を担当したことで、カッコよく言えば「自分の使命」に気がつくことができました。AIQVE ONEの前身・モリカトロン(AIゲームの先駆者・森川幸人さんの会社)から声がかかったのもその頃です。この時、すでにモリカトロンがAIによるテスト自動化に意欲的だったことは聞いていたので、オファーがありがたかったです。そこから新しいビジネスモデルをつくるために、テスト自動化に「より積極的な」人がいるところを求めて同社に移ったという感じです。その時はまだ体制もほぼ整っていなかった状態でしたが。

――とはいえ、AIQVE ONEも100人を超えるテスターを抱えた大所帯になりました。テストラボも全国4拠点に展開中です。桑野さんは、ここまでの急成長を支えてこられたわけですね。

モリカトロンに入社したのが2018年6月です。まずはゲームテストの体制づくりに本腰を入れました。テストラボをつくったのが入って半年後とかですけど、人員はまだ全然そろっていないタイミングで(笑)。この時、お客さまをお招きして、ラボのお披露目兼セミナーを開催したのですが、参加者の方から「ここ(ラボ)の座席ぜんぶ、これからスタッフで埋めるんですよね……」って指摘されましたから(笑)、経営目線で見たら寒々しい状況だったのかもしれません。でも必死に営業して、人を採用して、やがては人もそろって売り上げも上がるようになりました。そんな時です。「アクセル全開にしよう」と思った矢先に来たのがコロナ禍です。その前後、組織変更などの影響で社名が2回ほど変わって、昨年2月には大手品質保証企業の株式会社ベリサーブの子会社になりました。一企業の一部門だった事業が大手企業にM&Aされるという経験は、「上場」とはまた違って新鮮でした。

――ていうか、すごいな(笑)。ほぼほぼ一から会社つくって、M&Aの対応もしているじゃないですか。

貴重な経験をさせてもらってますよね。役職としては当初からセールスとマーケティングを担っていました。でも、仲間集めから何から何までやってきて、チームビルディングも手掛けられた。この意味でいうと、僕は、肩書き上は「セールス&マーケティング部部長」ですけど、「何屋さんですか?」ってあえて問われると、既存の役職にはハマらないんです。会社を見渡した時に、足りないことに積極的に顔を突っ込んでるので、「潤滑油」って自分ではよくたとえてます。

手掛けているビジネスモデルの新しさとは

――桑野さんが今されていることの新規性について教えてください。

テストの自動化って、ツールはあるにはあるんです。ツールを売っているいわゆる「ツールベンダー」はいるんです。でも、ベンダーは「売って終わり」になっちゃいがちです。そうでない方もいらっしゃるとは思いますが、売ったあとにツールを活かすか殺すかは「お客さん次第」となってしまう。現場によっては「ツールを使うお客さんに『最適な使い方』を提案する」といった努力もしているかもしれないですが、お客さんのニーズと提案が噛み合わない場合も多々あります。なので僕は、その仲介みたいなことをやって、自動化ツールが現場で活用されるよう勝手連で支援をしてきました。

――いまお話いただいた内容は「ベンダーあるある」「メーカーあるある」と言えるかもしれませんが、いよいよそこに着手されたのですね。

とはいえ、うちはメーカーではない。テストベンダーです。テストのアウトソースを請け負う会社です。ツールはつくる。でも売るわけじゃない。今は「社内で使うために」テスト自動化の技術を開発しています。それも、将来的にはオープン化するかもしれません。ですが、僕が重要だと思っているのは、そこじゃないんです。ツールじゃない。あくまでも「ツールを現場がどう使うか」なんです。ほんとうに「それ」が必要なのか。ほんとうに「それ」を使うことが効率的なのか。ここを踏まえてテストの自動化を推進する。そして「お客さんに使ってもらえる」をサポートする。ゲームのテスト自動化に関して、一部大手パブリッシャーの開発部門以外でしっかりやれている会社ってまだないんですね。ゲーム業界に新しいゲームテスト文化を浸透させられたらいいなと思っていて。それがいま僕の取り組んでいることの新規性です。

――みなが喜ぶ「ゲームテストの浸透の仕方」を新しくつくっているわけですね。

自動化ツールには、①ツールを開発する人②その活用を考え浸透させる人③ツールを動かすスクリプトをメンテナンスする人④実際に使用するテストエンジニア、が関わっています。ですが、たとえばこの①②③はまとめて「QAエンジニア」と呼ばれることが多いんです。実際、これら三者の業務を一人の人が担当することがあった。同じエンジニアが開発もメンテも担う、みたいな。それではエンジニアは手一杯になって現場も回らなくなる。ここに実は、ゲームのテスト自動化がなかなか進まない問題点がありました。なので僕は、①②③④すべての業務を徹底的に要素分解して、人と仕事を分けることにしています。業務分掌をしっかりして適材適所に人材配置する。それを社内で実行したら、うまく行きました。ところが、このモデルを実現している会社って、ないんですよ。

過去の知見が発想の起点に

――桑野さんの着眼点がすごいな。感性が鋭いのでしょうか。

業務を分解して、どこにネックがあるかを分析して課題をクリアしていく。やっていることはそれだけです。

自動化はテストを効率化するためのものです。目的は「テストの効率化」にある。なのに、たとえば、いつしか自動化自体が目的になってしまったというかことが往々にしてあります。多くのメーカーやベンダーもそうです。だから「開発して、売って終わり」で、お客さんがツールを使いこなせないなんてことが起こっていた。僕はそこに課題感を抱いていたので、「テストの効率化」という目的をブラさずに業務を要素分解して課題抽出をし、課題の解消に取り組みました。

要素分解の手法を営業にも応用

――たとえば、特化的な能力を持つ人には、業務中ずっと「強み」を活かすことに集中してもらう。一方で、誰にでもできる仕事はアルバイト等に任せる。そういった発想ですね。

はい。ゲームテストでも、繰り返しやる作業は自動化に置き換えて、人は「別のやるべきこと」に集中する。AIQVE ONEの理念に「品質管理に、革命を。」ってあるんですけど、人が主導してAIが補うという思想です。それって必ずしもAIや自動化じゃなくてもよくて、得意な人が得意なタスクを受け持つという感じでやればいい。それこそ人が同意なことは人が、AIが得意なことはAIが行えばいいんです。

この発想はいろいろなところに応用できます。実はうちのセールスやマーケティングのタスク分解にも応用しています。一人の営業マンがいた時に、その人が特化的にできることをその人にやってもらって、残りの部分は他の誰かにやってもらう。営業って、特に小さな会社で起こりがちですけど、ともすると、商談して、見積もりを作成して、契約書を送って、案件が終わったら請求書を発行して、納品書を受け取って、過程の事務処理もしてというのを一人がやっていたりするんです。それって非効率じゃないですか。事務処理はバックオフィスに任せて、営業は基本、商談だけすればいいって、そういう体制をうちは敷いています。

――采配がまたすごいな。最後に、桑野さんの今後について一言いただけますか。

弊社はゲームテストエンジニアの地位向上を掲げてるのですが、個人的には営業の地位向上もしたいです。営業って「きつい」「しんどい」「ノルマ」というイメージが先行して「やりたくない仕事」みたいに位置づけられがちですよね。でも実際はそうじゃないし、そうさせているのって、大抵は営業の管理職だったりするんです。偉い人が、営業のスタッフに督促するだけになったりして――それこそ、督促だけなら自動化できる。督促は単なるリマインド機能。だったらお前が外でろよって(笑)――非効率なんですよね。うちでは、先輩の私が外に出て、若いスタッフにリマインドをしてもらってます。「桑野さん! ここ数カ月このクライアントさん訪問してないですよ! 先週訪問したこのクライアントさんのアフタフォローはどうなってますか!」って(笑)。こういう体制を思いついた時にすぐに取り入れてくれる「柔らか頭」の仲間には本当に感謝しかないです。新しい働き方もこれからどんどん"外"に発信して、日本の「つらい」「きつい」と思われている営業を変えていけたらって思っています。

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