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週間レビュー(2022-12-18)

今年も残り12日、週の半分以上が忘年会だった。
お酒を飲むと次の日あまり頭も身体も動かない自分にとってなかなかに12月は厳しい月なのだけど、日常的に合わない友人や新しい出会いもあったりしてとても楽しいし勉強になるのは間違いない。この時期の都市や街は、人に使われているからかイキイキしている気がして自分も嬉しくなる。

今の会社にお世話になってからちょうど1年くらい経つのだけれども、だんだんとCEOの考え方や仕事の取り方、こだわりの持ち方、ワークのパス回しのようなものが身体でわかってきたように思っている。決してマネジメントの仕方はスタートアップのようなグロースのための最適なチームワーク、体制としての強さみたいなものはお世辞にもあるとは言えないのだけれども(それが逆に良いなと思っている)やはりピュアに建築や空間のソリューションが好きで楽しそうに仕事をしているというところなんだろうな。
「これは面白いよね」「これ楽しくできそうだよね」「こんなことやりたいよね」とアイデアの判断ではなくて自分も作り手として参画者としての振る舞いは特にデザインを仕事にしている人にとっては大事なものなのではないだろうか?PMやマネジメントや経営に徹している人の下で働くのは自分にとって辛いことが多いので良いのだと思う。

その上でWantではなくCanを強く求めていくアウトプットクオリティへのこだわりなどは学ぶところも多い。こんなにも人に好かれているのはなぜだろう、周りの人は一緒に仕事したくなってしまうのだろう?と1年ほど近くで見てきてだんだんとわかってきたように思う。自分もトレースしたいし、もう少し粘り強く学んでみようと思っている。

週の後半は、社内イベントの運営とGreen innovator academyのカンファレンスへ。

社内イベントはホテル・ツーリズム系起業家とのトークイベント。自分は運営サイドで聞いていたがコロナをサバイブしたホテルやツーリズム事業家の話は羨望というよりも共感の方が大きかった。自分も海外インターンシップの事業停止や組織変容を求められて相当疲弊しながらクリエイティブに戦ったからだと思う。世の中が止まっていた2年間で事業や組織、世界の状態と向き合いながら舵取りした経験は何かしらの糧になっていくのだと改めて思ったりした。

誰もがしんどかったと口を揃えるし、それを死に物狂いで、歯を食いしばってやってきた人たちは、経営者として本当にパワーアップしているという印象があったんです。結果的に、それを乗り越えた人たちこそが、今の世の中を広げてる人たちだと思っていて、だから実はリーマン・ショックが、すごくうらやましかったんですよ。

Green innovator academyのカンファレンスはほとんど同窓会のような感覚で参加したが、岩谷産業取締役へのピッチの話や水素産業の今後の発展についてプレゼンテーションする機会を突如いただいてお話をした。
内容もそうだが、プレゼンが上手く声がよく通るねと言われたり(これは慣れ…)バックキャスティングやデザインアプローチで課題を解いているのが珍しいと言われたりと久々にビジネスサイドに出ていくと自分のアプローチを客観視できて良い時間だった。

カンファレンスでは都市のこれからをテーマに森ビル開発部や森ビル都市戦略室、虎ノ門の蒸留所の方などのセッションを聞いたが、やはり森ビルのヘドニックサスティナビリティ的な高層ビルを作る代わりに緑の憩いの場所を提供するのでプラマイゼロです的な論調には都市の未来を本質的には感じられないなと改めて感じる。しかしこれ以上に近代建築を構築する論理が存在しないというのもリアルなのだろう。

「なぜ緑地化=環境保全になるのでしょうか?」という問いに対して「近年環境意識の高まりがあり、緑地化することによりテナント価値の向上が…」以上に回答できない都市戦略家はもはや資本主義の実行者であり都市政策に介入させるべきではないなと感じたり、またジェネリックな麻布台開発のような高層ビルの実装は都市の未来なのでしょうか?という質問に対して、
「難しいですが、それに対して考えを深める場所としてのグリーンイノベーターへの参加だと思っています。」というの回答しか得られないのは確実に問題だろうなと思う。

少なくとも、今のデベロッパーの構想に未来はなく、都市はまもなく磯崎新の唱えるように廃墟になるであろう。虎ノ門も廃墟になり、ピクチャレスク的自然観に戻る。自分はこのような開発に設計者としては加担できないなと思うようになった。にしてもこういうカンファレンスに建築家や都市計画家が呼ばれないことには慣れてきた。改めて建築家は利ブランディングが必要だな。こんなにも喧嘩越しで業界を歩いているが、どこに行けるのだろうか…、心配になる。

最近内省的に思うこととしては、自分には学ぶ時間がまだまだ十分に足りてないことである。建築的な領域はもっと外に開き、社会の課題に対して本質的にかつスピード感を持って変えていかねばならないと思うのだけれど、自分が建築的な技術者としての能力や実務力を兼ね揃えなければ、他の領域に対してイニシアチブを持つことはできないし、何より話を聞いてもらえない。権威性や認知度、作品を建築関係者以外の誰かのに理解してもらうことに対して興味を持てなかった自分であったが、その考え方ではやはり甘いなと思うようになった。

ちゃんと意見を聞いてもらうには、イニシアチブを取れるようになるには…やはり自分自身の考えをいかにして人に届けていくのか、知ってもらえるようにするのかは大事なのだと思う。これは来年以降の大きな目標になるだろうな。


インプット

山本浩二さん「建築と絵画」
設計演習Eにて山本浩二さんの「建築と絵画」の講義を受けたのだが、4時間があっという間なほど良い勉強になった。
バウハウスは建築と絵画の近接性、全ては建築であり、建築は総合芸術であるという考えであったが、個人的には絵画や芸術的な意味合いと建築の関係性を理解することができなかった。
ゆえに計画的に、プログラムとして空間を立ち上げるような手法のみしか頭に無かったのだが、「空間の絶対性」を定義しようとしているのは絵画も同様であり、つまり絵画の中には空間が立ち上がっており、空間をいかに平面的に表現するか、関係性を再定義するかを画法で持って立ち上げている…これはまさに建築であるなと理解した。

と同時にカメラオブスキュラ的な、「リアルを構成するのは目という媒体であり、目を再構築することによりリアルは可変的でありうる」というのはまさしくであり、キュビズムは機械的ではなく観念的な描画法でリアルを疑いにかかったものであるのだなと解釈できるように思った。脱構築的な建築もそこに近いのだろうか。絵画や芸術史を学ばずに建築を立ち上げることは不可能だなと思った。

にしてもこの講義は短くまとめられないし今週もあるので、サマライズして別途まとめようと思う。

Zahaが自身の考えとSuprematismについて説明している動画なのだが、空間の立ち上がり方が美学や絵画的コンポジションから生まれていることが再確認できる良い動画だった。建築デザイナーとして芸術を学ぶ意味はかなり大きいな。

レクチャー「沖綾子」
主にユニバーサルデザインや福祉と建築の話について。
小学校の教室形式はランカスタータイプといい、産業革命以降の大量の労働者教育のために成立したモジュールタイプであることには驚いた。このタイムスパンで考えると教室というスタイルや教え方は空間として200年間全くイノベシーションが生まれていない。

https://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/869/

また特別支援学級やインクルーシブデザインについてだが、自分自身も完全に分類されるとしたらADHDだったのだが、結構ほっとかれていたり、そこまで過保護にされなかったことがよかったなと。隔離とかされてしまう時代や環境でなくてよかったのかもしれないなと感じる。発達障害の子どもの数を数えてしまう現代はどうなのだろうかとすら思う。社会の方に障害があるのである。いずれにしても、将来を担う子供のために環境を作る、育てる行為は建築的な手法が有力だと思う。

脱学校の社会_イヴァン・イリイチ
学校を題材にして、制度化による価値基準の固定化した社会構造に対してメスをいれる論考。彼の唱えるOppotunity webは基本的に人間観の更新を求めている。これは分業主義の人間観に対する資本的人の考え方に近い。職業人間ではなく、どのような人々の可能性を拡張させるための教育論である。
このような考えで学校を空間化するとどうなるだろうか?というのが来週までの設計課題である…難しいがやりがいがあるな

希望とは、我々に贈物をしてくれる相手に望みをかけることである。 期待とは、自分の権利として要求することのできるものを作り出す予測可能な過程からくる満足を待ち望む事である。 プロメテウス的人間の歴史は、希望が衰退し、期待が増大してくる歴史である。

<脱学校の社会 イヴァン・イリイチ>

半径50mの世界_佐藤オオキ
佐藤オオキの最新のエッセイ集。彼のデザインへの考え方やプロジェクト毎に考えていたことがポップなエッセイにまとまっている。すごく等身大な文章で、デザイナーでありながら文章のうまさを感じてすぐ読めた。堅苦しいデザイン哲学論などではなくあくまで日常とデザインの掛け合い方を盗める。とても勉強になる一冊だった。

拡張農地
あとは拡張農地について思考している。農学部の友人がバーティカルな農法やイスラエルの農業ベンチャーの話を教えてくれたりと、周りに農業系が多くて助かる。年明けから色々と実装に移したい。地産地消の蒸留所にもいかなければ

拡張農地の計画メモ

MUTEK JP 2022
MUTEK JPを渋谷で参加したが、とてつもなく最高な時間だった。音楽と脳の連動を感じるような…すごく根源的な音の空間を体験したと思う。


「MUTEKをスタートしたとき、困難だったことのひとつは、いわゆるクラブイベントではないという点をはっきり打ち出すことでした。差別化をはかるために、DJ中心の内容ではなく、ミュージシャンのライブパフォーマンスにしたんです。そして、現代音楽に近い、より実験的な音楽を紹介し、周辺のデザインもミニマルにして、方向性を明確にしました。MUTEKは実験室です。創作活動の再構築が行われるような機会になればと考えています。だから前衛的(アバンギャルド)ではなく革新的(イノベーション)という言葉を使いたい。


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