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視力を失うということについて
前回のセカンドアルバムについて綴った話が好評(波紋か?)だったので続きをば。
レコーディングも大詰めになりミックス作業へと移ろうとしている。
素晴らしい作品になることは間違いないし、これが遺作になっても良いという心持ちに変わりはないが、それについて書こうものなら、それこそブルーライトでみなの視力を悪くしてしまうので割愛する。
前回も少し話したが、今作はファーストアルバムの制作段階で構想があった。
約3年っていくらなんでもモーリーファンタジーやろって言われそうだが、本当にアルバムタイトルからアートワーク、収録曲(新曲の都合上多少変化したが)まで考えていた。
なんならこのアルバムのために書いたような新曲もあるくらいで、コンセプトアルバムと呼んでいいほどの解像度で、僕の脳内では大切にしまわれていた。
ある種の変態と言われても仕方ない。実際変態だし。
フォロワーのために魅せられるのがエンターテイナーだとしたら、誰一人として味方が居ない中でも不思議な使命感で動き続けるのがアーティストだと僕は思う。
昔は想像力が枯渇したら辞めようと思っていたが、最近はそう思い書き続けている。
だから誰かに届けたいや感動して欲しいなんて、おこがましいことを考えたことはない。
ただ、死んだ友人に対して「お前はおれの最強のロックンロール聴けへんまま死にやがって」と思うことは稀にある。ほんと稀に。
ファーストはAmazonにも「他人と違う辛さや擦り減り方を日向へ向けて歌ってきたアンビヴァレントな作品。また手探りの状態だったことも相まって、バンド名の通りdatkidsというモラトリアムな現状を表す指標ともなっている作品。」と書かれている通り、処女作に相応しい突き抜けた印象。
それに対してセカンドは内的な明暗に問う楽曲を揃えた。
もうほとんどアルバムタイトルを発表しているようなものだが、僕なりに言語化するのならそれは「視力」だった。
良い機会だから言っておくが、サードアルバムの構想は一切ない。
次はアルバムの形態でなくてもいいんじゃないか。
それよりも面白いことは考えているので、君も僕も、生きてたら楽しみにしていて欲しい。
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