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視力を失うということ

気が付けば4年ほどkidsという音楽を続けていた。
長いのか短いのかよくわからない年数で、常に、そして今もなお右往左往しながら動いている。
数え切れないほどのメンバーチェンジ、メンバーの結婚や出産や活動休止、(同情を得ようとしてると非難されるのであまり言いたくないが)僕の鬱病の発覚、先に挙げたコロナ禍、そして友人の自死、様々な事象で活動が困難な状況に陥った期間が長過ぎた。

そんな中で一つ、日を増すごとに強く抱くようになった感情は「セカンドアルバムを世に出したら死のう」だった。
先日、初めてベースの健ちゃんに打ち明けたことだが、実際はファーストアルバムの制作中、もっと言えば先月リリースされた"morning fog"を書いた時から考えていたことだった。
それ以来、セカンドアルバムの構想とそのための曲を、遮二無二に進めてきた。
僕はFISHMANSもフジファブリックも好きなので、僕が死んでもdatkidsとして活動は続けて欲しいと思っている。
自分の身体を愛するために落書きの墨を徐々に増やしていき、死に向けて一歩一歩、しっかりと完成に近付いている感覚だった。
玉ボケした光を音楽で表現するという信念のもと曲を書いてきたが、それは皮肉にも完成に向けて少しずつ視力を失っていく感覚に近かった。

そして今、datkidsはセカンドアルバムを完成させようというところで、次の局面を迎える。
どうせこんな駄文を誰も読んではいないと思って、公式には発表されていないことを口走るが、糸玉の脱退だ。
彼女にとっての正念場であり、それがロックンロールであるなら止めるという選択肢は僕の頭になかった。
kidsとは別にリリ・シャロンのボーカル、胡蝶ゆみは突然理由も告げず去った。
何となく、誰しも疲れ切っていたんだと思う。
世を恨み、日がな弱い刺激で満足するよう強いられて、誰も責めることが出来ない状況。
まさにparksの歌詞が現実となった気分だ。

だが、不思議なことにその時脳裏に過ったのは「活動を続けるか」「止めるか」だった。
ポジティブな選択肢でないが、「辞める」や「死ぬ」が選択肢にないことに、遅れて気付き、ほんの少し笑えた。
それは健ちゃんの言葉や、この活動期間で知り合うことが出来た数少ない友人OVERHEADこーちくんやアサオカ01ことあっさんの言葉があったからに他ならないが、こうも他人を信用しない自分が導き出したとは思えない答えだった。

セカンドアルバムを作るにあたり、僕だけが大嫌いだった曲もレコーディングした。
バンド結成前に苔谷公園で初代ベースとこんなんどう?って書いた曲だった。
下戸の僕が深夜に荒れ果てて、普段は供物のサイズですら飲めないのにロング缶のビールを買い、案の定半分も飲み切れず雪の積もる公園で振り回し倒れ込んだときの曲だった。
健ちゃんが、もう一度やりたいと言った曲だった。
そして、この曲にも視力を失う表現がある。

見ようとするたび目を悪くして、ついには光でしか物事を視られなくなったとき、残る四感が冴えるように、なんとなく今はdatkidsの音を頼りに生きていこうと思えた。
自分で選ばずともどうせ短い人生だ。
もっとみっともなく、他人を頼って足掻いていこうと、ほんの少しだけ今は思える。

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