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りあるマザーファック(D)

MJ


いま文章を書きながら思い出している。

母親とのフェスについて。

おそらく回数は4回だ。

性交渉と呼ばれるのは4回。


1回目はMJを握られた。それで終わりだった。

2回目は「お尻に入れてみて」だった。

2回目のあとの話がよく思い出せないのだが、3回目、自らそういう行為をやりたいと自分が思った記憶がある。

おそらく3回目は自分から行為におよぶように促したと思う。

すんなりと了承を得て、おしりに入れようと頑張ったが無理だったので、

母親が


「お口に入れてあげる」


的なことを言ってオレの下半身を自分の口元まで運ばせ、口に含みだした。

二次成長期を迎えていない自分のMJは皮被りのタートルネックボーイだったので、スタンドアップすると皮が突っ張り痛い感じがしていた。

(その後、性に目覚めたオレは小学校4年生中盤ぐらいにはタートルネックはズルっと顔を出すぐらい自愛しまくった。移動教室のお風呂では顔を出したタートルを必死に元に戻す作業を繰り返した。中学卒業まで恥じらいの被せ行為は続いた結果、ビガーパンツ(皮被り矯正パンツ)を履けよとコミカルな友人に言われるぐらい皮被り扱いをされたwバレたくない。母親との行為と早く目覚めてしまった自分がバレるのを必死に隠した。当然父親はそんなことをしているなんて思っていなかった。いろいろ書きたいが本題からズレたので終わりにする)


痛い感じとまとわりつく粘膜と羞恥と好奇心と母への愛が入り混じった動物的な舐め合い(一方的だったが)のようにも感じ、遠く離れたアル中の母親との距離が縮んだかのようにも感じ、一時的に悪い気はしなかった。と思う。

果てることもなく、その場は終わり、残ったのは<スメルズバッド>だ。



最悪セルフソープランドタイム


オレのMJは猛毒に侵されたかのような酷いニオイをまとわせていた。

腐っちまうんじゃないかと本気で思った。

母親はアル中になってから歯も磨かず、酒ばかり飲んでいたので、口腔内は最悪で、歯槽膿漏MAXだった。

そのニオイがオレのMJにこびりついて耐えられるものではなかったから、すぐに風呂場に駆け込み、水のシャワーで洗い流した。

当時の我が家のお風呂はスイッチ的なもので作る火種(よく覚えていない)で着火させて始めてお湯が出る仕組みだったので、いち早く洗い流したい自分は水を急いでかけて流した。

石鹸で洗い流す。シャンプーをつけてみる。。。

一生ニオイが取れないんじゃないかと思うぐらい悪臭はしつこく、何分だろう。。。最悪セルフソープランドタイムは。

不安とこみ上げてくる罪悪感的なものとが入り混じり、大混乱していた。

賢者タイム的なものもあったのかもいれない。

さっきまでの好奇心は一瞬にして消え去り、ドロドロした悪魂が身体に染みるような重い気持ちになったことを記憶している。


もう一生しない!とココロに誓ったはず。

とてつもない後悔が襲ってきた。

重い十字架を背負った感じなイメージかな。


何事もなかったかのように寝ている母親をおいて近くの神社に一人で歩いた。


二足歩行をするオレの真ん中に悪童が誕生してしまった。


あてもなくとはこの事だ。どうしようとか、やばいとか、知られたら完全にアウトだとか思いながら歩いた。

その後どうやって家に戻って、どうやって母親と顔を合わせたか覚えていないが、

次の朝の母親の記憶は優しい母親とは遠くかけ離れた対応を自分に向けてきた。


一生忘れることのない最悪なコンタクトをオレに向けた。


りあるマザーファック(E)につづく。

<写真>昭和52,53年ごろ・母親と自宅前にて

苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)