バイとバイの息子(B)
おかま
今はテレビなどで市民権を得ている性的マイノリティLGBTの方たち。
両親の周りにも大勢いた。
みんなLGBTの方に見えたこともあったぐらい普通に横にいた。
当時、歌舞伎町交番横、数件建っているホテル前にいたオカマの立ちん坊カール(仮名)さんは、特にオレの思い出に深く刻まれている。
今の言い方だとオネエだと思う。合ってるか心配だけど。失礼があったら申し訳ない。女装をして男色好き。声は男で喋り方は女。有り有り。カルーセル麻紀さんに憧れていたのかもしれない感じだ。間違ってたらごめんなさい。
母親にかかってきた電話を取ったオレは「オカマから電話だよ」と取り次ぎ、教育をまともに受けていない子供らしいいじりをよくしていた。それを取り次がないといけない母親から怒られたりもした。
電話越しのカールさんは笑いならがオレを怒った。
「あ〜らアンタ酷いこと言うじゃない」
「こんど食べちゃうわよ」
そんな感じだった。
カールさんは立ちん坊である。
詳しくは書けないが、いわゆる立ちん坊である。
20代中頃、通りがかった歌舞伎町で、オレが誰なのかわかってて遊ばないかと声をかけられた事があった。取締りが厳しくなりカールさんも出たり入ったりしている頃で、金銭的に相当困っていたと思うが、60過ぎのオカマのカールさんに金を払ってアレコレする好奇心はさすがになかった。その後も屋台で数回一緒に飲んだが、今どうしてるかわからない。
どうしてるか知りたい。
母親のことをいつも褒めてくれる。
いつも思い出ばなしで泣いてくれていた。
Kさんから聞く母親の話は天使の母親だ。
「アンタ(オレ)が偉そうに伊勢海老なんかを注文しててさ〜。私そんなもん食べたことなくて、、、可愛がっていたわアンタを」「アンタのお母さんは本当に優しかった」「誰に対しても」「全部おごりだったわよ」「アンタのお母さんは本当にいい人だった」
酔っ払うと泣きながら繰り返しこんな話をしてくれた。
何でもあからさまに話すカールさんが素直に懐かしそうに母親のことを話す話は心地良く、嬉しかった。
母親の人間性は家庭以外ではかなり評判がいい。
誰も母親の文句を言わなかった。
よくある話だが、その分、家庭で、酒で、発散していたんだと思う。
最近までオレもそういう人生を歩んでしまっていたと思う。
優しく、思いやりのある人だった。
最高の母親だった。
酒が脳を狂わせている時間以外は。
苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)