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風邪の功名

*アメリカ留学中に書いていた文章を加筆修正した。

日本から飛行機でほぼ一日の遠く離れた異国で微熱を覚えながらこの文章を書いている。朝起きた時には何ともなかったのだけれど昼ご飯を食堂で食べたあたりから悪寒がして、その一時間後には早くもバファリンを飲んでベットで寝転がっていた。普段、昼寝をしないのと火照る体で寝付けなかったけれどバファリンを飲んで4時間ほどたった今、パソコンをできるくらいには回復してきた。

思えば自分の体調が悪い時に傍に心配してくれる人がいないのは初めてのことだった。これまではとても幸運なことに、食べたいものを作ってくれる母がいて、ポカリとゼリーを買ってきてくれる父がいた。奇麗に剥いたグレープフルーツをボウルに山盛り持ってきてくれるおばあちゃんがいて、いつもより少しだけ僕のことを気遣う弟がいた。

そんな人たちと離れて、さっき日本から念のためにと持ってきたバファリンを二錠、一人で飲んだ。大した熱ではないものの、どこか感じるこの寂しさと不安を、枚方で一人暮らしをしていたみんなは既に経験していたのだろうか。

僕の凄く好きな詩がある。

≪前略≫
万有引力とは
引き合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

「二十億光年の孤独」谷川俊太郎

ニュートンは全ての質量を持つモノは互いに引かれ合うということを発見した。その万有引力と呼ばれる物理法則を動かしているのは実は孤独の力なのかもしれない。万物を構成している無数の粒子一つ一つが孤独を感じ、寂しさ故にくっ付いている。そんな世界を想像するとなんだか全てが可愛らしい。

ひずみ膨らむ宇宙の隅で 僕らは今日も引かれ合い
それでも孤独な僕たちは 寂しさゆえに風邪をひく


秋学期が終わった後、1か月間の冬休みに大学で最も仲の良かった友達3人とニューヨークで集まることになっている。ある夜の電話で、飛行機の値段を勘違いして決めたニューヨーク行。世界の中心へのクリスマス前日の高額な飛行機のチケットは既に取ってある。

「友達は離れてからが本番」という文章を読んだことがある。その通りだと思う。学校や部活は会う理由を与えてくれていたのだと今ならわかる。予定なんか立てなくても毎日何となく顔を合わせて、どうでもいいことを話して、放課後適当にラーメン屋に行ったりしていた日々は永遠に続くように思えていたけれど、クラス替えや卒業、留学によってそれまでの囲いが取っ払われてしまうと、手を離された風船のようにみんなバラバラに簡単に散っていってしまう。

『また会おう』そう言って別れたあの時が最後になった人が何人いるだろう。友達という関係は互いに確認しあいながら築かれるものではない。けれど僕は、物理的に離れた後にもう一度わざわざ予定を立てて会うという行為が、友達というとらえがたい関係を確認する役目を代わりに果たしているように思う。

そして物理的に離れた距離が広ければ広いほど、再び会うために必要とされる「会いたい気持ち」は大きくなっていく。ホテルをニューヨークにとったこと。そこへは、皆、飛行機を使わないといけない事。そしてそのチケット代が予想よりはるかに高額だったこと。そんな彼らと会うための障害となるものの多さに反するように募るばかりの再会への想い。アメリカという広大な大陸を横断できるほどの「再会したい気持ち」を皆が共有しているということに気付いたとき、彼らと友達だったのだと心の底から実感した。


風邪で身体だけでなく心も少し弱っていたのだろうか。いつもより赤裸々な文章に思える。


一人は寂しい。
そんなことに今まで気付かなかった幸福をかみしめて上の文章を書いた後、風邪は悪化しインフルエンザになった。そして40度近くの高熱はしんどすぎて孤独を忘れさせてくれるということを知った。

寂しさを紛らわす方法は沢山ある。
一人で生きていける人が強いとみなされる社会の風潮も強まっている。
でもこの時僕は、一人暮らしにうっすらと、けれど確かに漂う寂しさに慣れてしまってはいけないと思ったんだった。

あなたは淡い色合いのペルシャ絨毯であり、孤独とは落ちることの無いボルドー・ワインの染みなのだ

「女のいない男たち」村上春樹

若い時には苦痛に思えるが、熟年になると甘美になる孤独の中を生きている

「量子革命」マンジット・クマール


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