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自助会 3回目 発達障害当事者会

今回で3回目の自助会。人口約10万人の都市で約4人の当事者が集まった。SNSを利用して自助会の告知をして参加者を募ったけどごく少人数といえる。
これから徐々に浸透して行けばもっと集まるのだろうけど、今はコロナの影響により収容人数も少数の方がちょうどいいとおもっている。

参加者は近場の人ではなく車で30、40分の人や新幹線で来る人もいる。
それだけ大変な思いをしているのだろうと推測してしまい胸が苦しくなるのは正直なところで自分もその一人だということ。なんせ自分が大変だから自助会をやろうと思ったからなのだから。

自助会が始まって誰が最初に話し始めるのかはその時にもよるのだけれど、何においても初めの一人目はハードルが高く感じているような雰囲気がある。この自助会の始めもそんな雰囲気があるのかもしれない。ある程度ファシリテーター(主催者)が場を回す係で本来の仕事なのかもしれないけど、その時の気分もあって言いたい人がいるかどうかだけ確認して、誰もいなければ自分が言えばいいかぐらいでやったほうが自助会も継続しやすいとおもっている。

本題としては気づきが幾つかあった。自分一人での特性で生きづらい人たちと、自分の特性に付随する家族のことで生き辛さを感じているパターンがあるといこと。

自分のことでいく辛さを感じている方は何をやっても定期的にやってくるうつがあり、仕事に出てもミスばかりして自分を責めてしまい自信消失してしまい怖くなっている方がいた。ご飯が食べられないとか寝れないとかは無いようだけど、一寸先も闇と言っていた。なんと声をかけてよいのか、掘り下げる質問も傷を深くしてしまうのではないかと声のかける内容も考えてしまうほど。

あとは家族がらみで特性含め家族のコミュニュケーションがうまく取れず自分を犠牲にしているのではないかと思う。たとえば両親が片付けられない家庭内に物が溢れている場合、その子供はその片付けをするのだけど同じことの繰り返しで嫌になってしまうし、ただそのことを放っておけなくなり両親の家の片付けが自分の生活の一部になってしまい自分の幸せも我慢するようになっている場合もある。

特性があるとスムーズに生活できなくなることや、支障をきたし快適には程遠い生活になってしまいやすいことは明らかだと感じた。

それと自助会を3回目にして気づいたのだけど一つは「当事者同士で理解されやすい」ということ「人間関係は上下関係ではなく横の関係」すなわち他人の意見やアドバイスや言った悩みも自分の思考にスッと入ってくるということ。
あえて比べると仕事関係ではこのような関係づくりにはならないし、どうしても上司や部下への意識をもちがちになってしまう。だから余計なマウントや気遣いなど一切不必要だから「安心できる場所」でもあると思った。

あと今回は障害者年金についてや就労支援についての話題も出たし、自分の担当医についてそれぞれの意見が持ち出され、どんな担当医が良いのかも話し合われた。

自分に合う先生は自分と意見が合っていると感じる先生や担当医の専門は精神的な分野での専門で発達のことをあまり知らない先生などだけど、受診者が多くの情報をもって担当医の先生に自分の思う提案がしやすい場合もあるとわかった。

いい悪いではなく自分に合う先生に出会うことが精神的負担や理解してくれることでその人が生きやすくなればいいのだと思う。

今回はこのぐらいにさせて頂きます。

ここまでご購読いただきありごうございます。


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