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ふいに、涙が出るのはなんでだろう

今朝、近所のカフェに行った。

新しくできた店らしく、まだ、全てが真新しい。
コロンビアの豆だけを扱うカフェだ。
スタッフも、お客さんも主に中南米の人らしく、スペイン語が聞こえてくる。

ここに来るのは、二回目。
美味しかったから、前回と違うものをオーダーしてみたいと意気込んでいた。

ふと、家族連れのお客さんが目に入った。
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、子ども三人。
子どもの一人は、ふわふわのうさぎのぬいぐるみを抱えているのが見えた。
休日の朝、家族みんなでカフェにやってきたんだ。

ふいに、視界がぼやけた。

あれ…

わたし、なんで泣いてるんだろう。


ふいに、涙が出るのはなんでだろう。

そう、信頼している友だちに、聞いたことがある。

なんでだか分からないけど、
分からなくていいんだよ。
なんか癒されたんだよ、きっと。

そう聞いて、なるほど、と思った。
自分を深く探究したり、原因を探るのは、楽しい作業だけど、

それをしなくていい、という考えも大事だと気づかされた。

なぜなら、目的は、原因を知ることじゃなくて、ただ、よりよく生きることだから。

涙が出た
それに気づいた 
いやな気分はしない 

That’s it. 
便利な英語だな。でも、まさにこれかも。
これで、よし。ただ、それだけ。

自分の家族にまつわる心情なのか
忘れていた過去の感情なのか
もしかしたら、前世の記憶なのか

なにが癒されたのか分からないけど、温かいお湯になにかが溶けたように、ジュワッとした感じだった。

もし、感受性が高すぎて、いろんな感情を味わうと、
「強くなろう、強くならなきゃ」
と思うかもしれないけど、

でも、もう、そう思わなくてもいいと思う。

もちろん、感情の中には、特別に取り出して、じっくり向き合わないとならないものもあるけど、それ、全部じゃないかもしれないし。

「泣いた」

その瞬間、頭をシーンとさせて、味わうのだけでもいいんだ、きっと。


ハンカチなんて持ってなかったから、思いっきり、視点を天井にずらした。

コロンビアから運ばれてきた豆たちが、大きな袋に入ったまま、壁沿いの棚に高く積み上げられているのが目に入った。

元々は倉庫だったはずの店の天井は、思ったよりずっと高かった。

涙はパラパラと落ちていった。

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