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「学ぶ」とは何だろう?

大人の学びが盛況です。弊社でも、学び関連の仕事があり、いろんな情報に触れる機会がありました。資格、キャリア、大学院、教養、VUCA、MBA、就職、転職、副業など多種多様なワードが、学びという現象を取り巻いています。

僕自身は、なんとなく今の位置に落ち着いてしまったので、実感があまり沸かないのですが、世のビジネスパーソンにとっては、今の時代は不安でどうしょうもないということは理解できます。結果、youtubeや雑誌でもお手軽に学べる○○が増殖している。コスパやタイパに表される効率特化のコンテンツが生み出されては消えてゆく。そんな状況がずーっと続いています。

それが間違っているとは思いません。誰だって、今よりもっとお金を稼ぐため(もしくは今より落ちたくない)、新しいキャリアを得るため、自分を成長させるため、人生を豊かなものにするため、心の安定を図るため、いろんな理由がある。でもね、お手軽に学んだことは、すぐに使えなくなるってことも事実なんです。なぜかといえば、瞬く間に一般化するし、ある事柄だけの最適解を導くものにすぎないからです。特に「教養」はそのいい例ですよね。教養=リベラルアーツと日本では訳してます。(これは若干違和感ありますが)本屋さんでも動画でも、リベラルアーツを学べばビジネスはうまくいく!みたいなコンテンツが腐るほどあります。本当かよと。ビジネスのために教養を学ぶんじゃなくて、教養を学んだから結果、ビジネスにも役立つ。ベクトルが逆なんです。同じことじゃないかと言うかもしれませんが、浅く学んで知識を突っ込んでも、知ったかぶりを増産するだけで、そこに深みがなければ教養を学ぶ意味なんかありません。そんな浅薄な勉強をするならヘロドトスでも孫氏でも一冊を読み込んだほうがどんなに仕事に役立つかわかりません。

とは言え、この流れは不安な時代が続く以上、止まることはないと思います。人間は弱いです。楽なほうに行きたがる。かくいう私だってそうです。当たり前なんです。でも、腹の中に何があっても崩れない何かがないとこの先を生きるのは辛いことになるのは間違いないと思います。自戒も込めて書いた昼ご飯を食べたい十三時です。

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