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「前世の記憶と来世の価値」理論

オカルト期待しているみなさんすみません。カネの話です。


仕事の関係で、最近アップサイクルのビジネスを考えていた。
で、ふと思いついたのがこの「前世の価値」理論。

例えば目の前に、2つ全く同じデザイン・材質のバッグがあるとする。

でも一つは、ヨーロッパの大陸横断鉄道の幌から出来たバッグ。
他方が、トイレの床マットを再生させたもの。

「どれだけ強靭なトイレのマットなんだろう!」という感嘆は置いておき、さて、あなたはどちらにお金を払いたいだろうか?

多分、よっぽどの水回り芸人でない限り、前者だと思う。
繰り返すが、材質は全く同じにも関わらず。


前者はずばり僕が大学生のころから愛用しているFREITAG。

世界にひとつしかないデザイン、というのもいいよね。
しかし、大学生には高かったよー。でも買ってしまった。

で、ちょっと探したら、こういうのもおもしろいね。
これ、消防ホースだからかっこいいが、バキュームカーのホースだったら、ちょっと嫌じゃないですかね…?


この「前世の価値」理論に近いモノとして、「先祖の価値」理論というのも続いて思いついた。

たまにいる、「私の20代前の先祖は武田氏に使えた家老の家来で…」みたいなやつだ(2つの意味で遠い)。

でもさ、(基本的に)祖父母は4人、曾祖父母は8人いる。
10代前だと先祖は1,024人いるし、20代前だと1,048,576人いる(あってる?)

その100万分の1を拾って「●●の先祖」っていうのは、実は結構都合のいい話だ。(ちなみに僕はこんなに珍しい苗字だが、本当にルーツがわからない。だれか知りませんかね?)

それを批判したいのではなく、ルーツには人の感じる重みの違いがあり、かつ人は選択的にルーツを選べる、ということ。


喩え話が長くなったが、これはサプライチェーンの一部が製品の最終形に影響を及ぼした(ように見える)状態でも同じことが言える。
尾道の人が履き込んだデニムとか。

これ、途中で僕が履いちゃったら意味ないんだよな。
最終形が同じだとしても。

武田氏に使えた家老の家来の血(統書)は、少なくとも彼にとって100万分の1でも必要なのだ。



で、これに気づいて面白いことは、「来世」の姿を先に設計しておけば、「来世の価値」を今世に載せられるんじゃないかということ。

前世は変えられないが、来世は変えられるんだ。

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