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「ここでスライディングに行くと最終的にどんな結果がやってくるのか」を考察する。

こんにちは。日本代表のアジアカップ敗退に悲しんでいます。特定のひとりだけの問題にせず、敗因をしっかりと分析してワールドカップ予選に向かってほしいものです。


ミスをする生き物。

最近読んでいる書籍のなかの一節にこのような言葉がありました。「人間はミスをする生き物。改善とはミスをしないようにすることではなく、ミスしてもリカバリーできる力をつけること」。まさに。人間という不完全で不安定な生命体が生き残ってこれたのは、この改善という修正力なのだと思います。

そして人間にはもうひとつの能力がある。それが「コントロール」。刺激と反応の間にはスペースがあり、そのスペースを自由に使える権利が人間には備わっています。自分にコントロールできないことを受け入れ、問題は外にあるのではなく、自分自身の内側に存在しているのだと自覚することです。

棒の反対側。

戒めとして長年「物事にはすべて理由がある」を胸に刻んで生きています。若干ストイックとも取られるかもしれないですが、原則自分の身の回りで上手くいかないことの根本の原因は自分自身にあると思うようにしています。深く物事を考えない楽観的なほうなので、これくらい縛るのが良いですね。

7つの習慣にはぴったりの話もあります。「棒の反対側」です。

私たちの行動は、原則に支配されている。原則に沿って生きればポジティブな結果につながり、原則に反すればネガティブな結果になる。私たちはどんな状況においても自分の反応は選択できるが、反応を選択することで、その結果も選択しているのである。「棒の端を持ち上げれば、反対側の端も持ち上がる」のである。

7つの習慣「第1の習慣:主体的である」棒の反対側 より

ここで「行動は選択できるが結果は選択できない」とスティーブン・R・コヴィー博士は力説しています。そのとおりです。文中ではかなり過激な表現方法でこの行動と結果について書かれているのですが、要するに過去から学ばなければ、さらに自分自身に深く傷を負う羽目になるということですね。

そんなのは当たり前じゃないか、という意見も飛んできそうですが、往々にして人間は自責よりも他責を選択してしまうことが多いですね。そういう自分自身も、どうしても後者が頭をよぎり、反応的になってしまうケースもあります。その場合にどうすればいいのか。先日もそんな話題になりました。

決意と責任。

とは言え何もかもが自分の責任、まるでLose-Winの関係を強いるのではありません。ここで言う自分自身の選択は責任を取るか取らないかの話ではなく、結果としての責任を取るための選択をおこなえていたかであると思います。繰り返しですが、結果に対しての責任は選択によるものが多いのです。

プロサッカー選手は「ここでスライディングに行くと最終的にどんな結果がやってくるのか」を意識してプレーしていると思います。場所、時間帯、相手との関係性など多くのファクターを自分事にして、そのうえでスライディングに行く選択をする。そんな決意と責任が「主体性」なのだと思います。

主体性の核を見つける。

レゴ®シリアスプレイ®にはいくつかのメソッドがありますが、個人的に多用するのは「自分とは一体誰なのか」という表現のワークです。自分が自分自身に向けてどんな反応をするのか。それを文章や言葉に頼らずに、です。その作品のなかには主体性の核でもある決意と責任が存分に盛り込まれます。

第1の習慣の文末にもある「自分は責任ある人間であると自覚することが、自分自身の効果性の土台となる」という言葉が、この主体性のすべてを表しているような気がします。できるかできないか、ではなく、やるかやらないか。そんな素直な反応を、レゴブロックは必ずや導いてくれると思います。

最後に。

アジアカップを見て、個人的にはもっと日本代表を応援したくなりました。その選択ができるのが自分自身。応援しようがしまいが、結果は選択できない。ならば応援一択しかないように思えますがどうでしょう。あと、日本代表の皆さんへ。ぜひレゴ®シリアスプレイ®ワークショップやりませんか?

「自分とは一体誰なのか」を意識することから始める。

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