見出し画像

【感想】劇場映画『ノイズ』

藤原竜也と松山ケンイチが『デスノート』以来15年ぶり共演というキャスティングの側面が注目されがちな本作。

ちなみにこれも日テレ製作×ワーナー配給。

原作は筒井哲也の同名漫画。

少しずつ豊かさを増す田舎の村。そこに混ざった一つの“異音”が、平和な静寂を壊してゆき──!?
http://grandjump.shueisha.co.jp/manga/noise.html

第1巻が各種電子書籍サイトで期間限定無料配信中。
ゴリゴリに不穏なサスペンス。

そんな原作の実写映画化を担当したのは廣木隆一監督。
Wikipediaにはこんな記述がある。

恋愛映画の名手と称され、とりわけ2010年代以降は少女漫画原作の恋愛映画を次々と手がけており、三木孝浩、新城毅彦とともに「胸キュン映画三巨匠」と呼ばれることもある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/廣木隆一

個人的には「胸キュン映画三巨匠」というのは一体全体誰が呼んでいるのか半信半疑なのだが、確かにフィルモグラフィーには少女漫画原作の恋愛映画が並ぶ。

有村架純はよくインタビューで「私に映画を教えてくれたのは廣木隆一監督」と言っていますね。

――廣木さんとは昨年の『ストロボ・エッジ』で組まれていますよね。

私にとって廣木監督は信頼できる、とても大きな存在です。『ストロボ・エッジ』で私のお芝居は変わったと思います。あの後、出演した『ビリギャル』(15年)で賞をいただいたり、いろいろと評価してもらえたのですが、『ストロボ・エッジ』に出ていなければ、『ビリギャル』での演技も違ったものになっていたはずです。

――廣木監督の演技指導は、具体的に言うとどういったものだったのですか?

「余計なことするな」とよく言われました。お芝居は悲しいから悲しい表情をしたり、怒っているから怖い顔をしたりすることじゃないんだと。感情は目で伝わるから大丈夫、それ以上のわかりやすい表情や動きをするなと。そう言われて、それまで身についていたものが削ぎ落とされ、原点に戻って再スタートできたんです。役の掴み方も変わりました。
http://kansai.pia.co.jp/interview/cinema/2016-06/natsumi-hotaru.html

有村架純の主演作『前科者』が同日公開になったのも何か巡り合わせを感じます。
(しかも『ノイズ』で事件の一番最初のきっかけとなったのも『前科者』で有村架純が演じたのも保護司という偶然)

※この日は前科者→ノイズという2本立て

そんなわけで20代の若手女優を撮っているイメージはあるものの30代の男性を主人公に据えたサスペンス作品のイメージは正直無かった。
しかしながら、これが意外や意外(と言っては大変失礼なのだが)しっかり面白い良質なサスペンス映画だった。

まずは何といっても撮影。
引きの画からジリジリと俳優の表情に寄っていく長回しのカメラワークが繰り返される。
ちなみにこういう映像は廣木監督の作風。
サスペンス演出のために今作だけ特別にやっているというわけではない。

――廣木監督の映画では、長回しやひきの画が特徴的ですが、ネット配信ドラマということで撮影時の意識の違いはあったのでしょうか。
【廣木隆一監督】 映像に関しては、そんなに違いを意識していません。ただ、いつも通りに撮っていくと僕は引きの画ばかりになってしまう(笑)
https://www.oricon.co.jp/news/2072907/full/

(上記はNetflixドラマ『火花』のインタビュー)

この演出が何か嫌なことが起きそうな予感をジワジワと煽るので緊張感がずっと続く。
引きの画で画面どこかに大きく空いてるスペースがあるのも「誰かがそこに現れるのではないか?」と思えてくるんですよね。
しかもそれを長回しで見せられるからこっちもついつい力が入ってしまい緊張状態になる。
よくよく考えたら廣木監督の作風ってサスペンスとめちゃくちゃ相性良いじゃないかと。
見る前は適性を疑ってすみませんでしたw

あと何箇所か引きの画ではなくて、近くから覗き見ているようなアングルがある。
殺人隠蔽の工作が誰かにバレるかもしれないというのを匂わせる(=誰かに密かに目撃されているように感じさせる)演出として非常に効果的。
しかし、実はそれ自体がラストで明かされる真相に向けた伏線だったとは。
思わず唸ってしまった。
他の伏線の張り方も非常にフェア。

脚本の構成も巧い。
ストーリーもキャラクターも原作からは結構改変が加えられている。
圭太(藤原竜也)は「誰かが仕留めなくちゃいけなかった。それだけの話だ」と半ば殺人行為を開き直って肯定している台詞は除去され、モノローグを多用できない映画でも見やすいキャラクターになっている。

さらに中盤にある市長(余貴美子)の大演説。
日本アカデミー賞に優秀クソ野郎部門があったらノミネート間違いなし。
マジでクソ・オブ・クソ野郎であるw
ただ、あの大演説は序盤から巻き込まれ型サスペンスで一気に駆け抜けてきた観客に対してこれから採り得る選択肢を交通整理する大切な役割を果たしている。
あの時間で観客の思考がクリアになる。
同時にブラックコメディ描写があまりにも突き抜けているので思わず笑ってしまう。
で、一旦落ち着かせてからのあの展開!
まさに緊張と緩和。

俳優陣も良かった。
さすがに廣木監督に「余計なことするな」とは言われなかったでしょうが、良くも悪くも代名詞のオーバーアクトを抑えた藤原竜也。
このままああいう使い方で消費されちゃうのかなと思っていたところに。
そして永瀬正敏ってこんなにも凄い役者だったのか(今更だけど)
島民に立ち向かう姿はヨン・サンホ監督の『我は神なり』を思い出した。

どちらも村社会の描き方がエグい…

最後に一つ、オープニングとエンディングを含めて劇中で合計3回出てくる台詞がある。

朝起きたらヒマワリが咲いていたので、みんなで遊園地に行きました。
暑かったのでアイスクリームを食べました。
とってもおいしかったです。

3回も出てくるということは作品のテーマに関わる重要な台詞と考えていいだろう。
ところがこの台詞の真意がパッと聞いただけでは何とも掴めない。
ストーリー上の設定としては、主人公の娘が書いた絵日記の文章らしい。
子供の絵日記らしいとでも言おうか内容の薄い文章である。
そもそも「ヒマワリが咲いていた」という理由で「遊園地に行く」という論理構造が破綻している。

だが、これはむしろ意味が無いことに意味があるのかもしれない。
遊園地に行って暑いからアイスを食べたら美味かった。
あんなに平和で普通だった日常。
それが島の外から来た“ノイズ”と内に潜んでいた“ノイズ”によっていとも簡単に崩壊してしまった。

結局一番怖いのは、人間の悪意である。

この記事が参加している募集

#映画感想文

68,930件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?