【感想】劇場映画『バビロン』
『セッション』と『ラ・ラ・ランド』でアカデミー賞に手が届きかけたデイミアン・チャゼル。
そんな彼が新作の舞台に選んだのは1920〜30年代のハリウッド。
世界は空前の不況(いわゆる世界恐慌)に見舞われ、映画産業もサイレントからトーキーへと転換期を迎えていた時代。
奇しくも約100年後の今も世界中で景気は減速し、映画もまた転換期を迎えている。
映画館から配信へ
映画からテレビシリーズ(テレビドラマ)へ
長尺の映像作品からショート動画へ
そんな時代に3時間超の映画についての映画を作ったのはやはり確信犯なのか。
本作のオープニングは何やら象を車の荷台に乗せて丘の上にある屋敷に届けねばならないというエピソードで幕を開ける
重い象を乗せて坂を上るが、ロープが切れてしまい坂を滑り落ちていく車を必死で止める主人公。
その後とある悲惨すぎるブラックコメディ展開が待っているわけだが、この「坂を上っていたものが一転して落ちていく」という構図が鑑賞後は何とも示唆的に感じられる。
前半は世界恐慌に突入する前のイケイケな時代のハリウッドをしっかり映画的な演出で魅せていく。
豪邸でのパーティー会場をワンカット長回しを多用しながら縦横無尽に動き回るカメラワーク。
チャゼルお得意の音楽に乗せたリズミカルな編集。
特に2本の映画の撮影現場を交互に見せながらもそれがストーリー上は特に合流することが無い序盤のパラレル編集は映画史における編集技術の変遷を辿っているようで面白かった。
ちなみに撮影と編集はチャゼルとずっと組んでいるリヌス・サンドグレンとトム・クロス。
これ書いてる最中に気付いたけど、このコンビはチャゼルとは無関係の『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』も手がけていて、自分があの作品の映像面がやたらカッコイイと感じたのはそういうことだったのかと妙に納得。
(脚本執筆は修羅場だったそうですけどねw)
さらに美術は『リコリス・ピザ』のフローレンシア・マーティン。
鉄壁。
閑話休題。
劇中のサイレント映画が上映されるシーンでは前作『ファースト・マン』に続く静寂・無音演出。
ちなみに今作では主観ショットや寄りの構図への固執は見られなかった。
むしろ引きの構図が中心?
終盤では手持ちカメラによるブレブレの映像も効果的に使われている。
このように過去作で培ってきたチャゼルの作風がベスト盤よろしく詰まっている本作だが、やはり『ファースト・マン』と今作の間にNetflixで手がけたドラマ『ジ・エディ』を外しては通れない。
デイミアン・チャゼルは群像劇ではなく主人公に絞って描く作劇を得意としてきた。
『セッション』や『ラ・ラ・ランド』は言わずもがなメインキャラクターが2人。
さらに『ラ・ラ・ランド』ではミュージカル演出によって大量のモブキャラが発生。
『ファースト・マン』では遂に月に1人で降り立つ男の話になり主人公以外に誰も存在しない世界にまで絞り込んでしまう。
(もちろんこれは良し悪しの話ではなく作風の話です。念のため)
ところが『ジ・エディ』は群像劇。
上に貼ったツイートにも書いたが当時は結構驚いた。
『ファースト・マン』に続いて他の人が書いた脚本を演出し、自身の作風から離れたものを敢えて撮る経験をしたことが『バビロン』にフィードバックされているのではないだろうか?
(『バビロン』の脚本はチャゼル自身が執筆)
今作はメイン3人+準メイン3人による計6人の群像劇。
完全に新境地に達している。
ちなみに『ジ・エディ』はNetflix作品では非常に珍しい16mmフィルム撮影を行なったりとなかなか野心的な作品。
ただ、前述の通りチャゼルの演出や作劇の進化を堪能した一方で、個人的には「では本作は3時間かけて何のメッセージを伝えたかったのか?」は正直あまりピンと来ない部分もあった。
確かに映画愛は感じる。
𠮷田恵輔監督の『神は見返りを求める』でYouTuberのファンが発する「残るものって、そんなに偉いんですか?」への回答のような台詞もあるし、ラストシーンはまさにそれを強引なまでに映像化した「映画は未来に残るのだ」という高らかな宣言のようではある。
ただ、サイレント映画の中心にいた登場人物たちはトーキーの時代には順応できず、ことごとく悲劇的な最期を迎える。
そう考えると転換期を迎えている今の映画への愛だけではなさそう。
諦観ではないにせよチャゼルの中にも複雑な想いが去来しているのだろうか。
また、確かに自分も映画は好きだし映画文化もずっと残ってほしいと願っているが、同時に過去のハリウッドを今わざわざ取り上げるならそんなに牧歌的でいいのか?という感情も覚えた。
今パッと思い付くだけでも
SHE SAID/シー・セッド その名を暴け
NOPE/ノープ
ラストナイト・イン・ソーホー
ハリウッド(ライアン・マーフィーがNetflixで手がけたドラマ)
といった作品が過去のハリウッドやショービジネス業界を現代の価値観で捉え直して批評している。
『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』に関しては捉え直したというより価値観のアップデートの直接的きっかけとなった実話なので少し毛色が異なる面もあるが。
もちろんチャゼルも「あの頃は良かった」みたいなことは言っていない。
ただ、もう少し何らかの批評性があっても良かったのではないかと感じた。
なので3時間超に値するメッセージを受け取れたか?というと自分は否かなぁと。
あと、ちょうどHBOで『THE LAST OF US』みたいな映画に匹敵、いや映画を脅かすレベルの凄いクオリティのテレビドラマが毎週配信されてる時期に観たというのもあって尚更。
てかチャゼル自身もちゃっかりNetflixで配信ドラマ撮ってるわけだしw
Netflixで群像劇の演出を経験したチャゼルの進化を目に出来て嬉しい反面メッセージは掴み切れない多少のモヤモヤも。
まぁでも作家軸で映画を観るというのはこういうのも含めて面白い体験である。
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