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【感想】劇場映画『流浪の月』
流浪の月:凪良ゆうの同名小説を李相日監督が実写映画化。過去に『悪人』や『怒り』でも発揮された俳優の演技の性能限界を引き上げる李監督の手腕は健在。横浜流星は最低のキャリアハイ。映像面は『パラサイト 半地下の家族』のホン・ギョンピョが美しいショットを連発。ピント送りの使い方も印象的。
— 林昌弘,Masahiro Hayashi (@masahiro884) May 14, 2022
李相日監督といえば日本アカデミー賞に輝いた『フラガール』が最も有名かなと思う。
ただ、今作『流浪の月』に繋がる作風を獲得していったのは『悪人』『怒り』だと個人的には思っている。
どちらも「世間での言われ方とは違う、私にとってのあの人」を重たいトーンで描いている。
『流浪の月』は原作小説の時点でそういう話なので李監督に合ってそうな題材。
(映画を観る前に小説を読んだ際は「あれ?もしかして新たに書き下ろされた映画のノベライズ版を間違って読んじゃったか?」と思ったほど)
原作からの改変(脚色)
ストーリーは概ね原作通り。
母親と暮らす幼少期の更紗の描写がカットされていたり省略が多少あるぐらい。
ただ、李監督は映画化に当たって全体の構成には大きく手を加えている。
原作小説は時系列を前後する書き方にはなっていない。
幼少期パートで何が起きたかを描き切ってから現代パートに移る。
現代パートに回想する場面はあるものの、出来事を詳細に振り返るというよりは当時の感情を思い出すのが中心。
これが映像作品なら編集点を使える。
ベッドで寝る→目が覚めるというシチュエーションやカーテン(本作では社会や世間など外界から自分たちを隔てるモチーフとしてカーテンが再三登場する)を使って現在と過去をシームレスに繋いでいる。
『怒り』では原作同様ストーリー的に繋がらない3つの物語を1本の映像で見せるために、次のシーンの音だけが少し早く聴こえてくるという手法でぶつ切りに感じさせないようにしていたが、本作でもその手腕は健在。
これによって幼少期パートが単なる過去の話ではなく今の話になっている。
社会批評とは距離を置く李作品
前述の通り李監督の近作は「世間での言われ方とは違う、私にとってのあの人」を描いている。
殺人を犯した上に自分と一緒に逃亡するこの男は悪人なのか?(悪人)
自分にとって大切なあの人は凶悪な殺人犯かもしれない(怒り)
いずれも原作小説がそういう話なので李監督自身がそのテーマを描きたいのかたまたまそうなっているのかは分からない。
それらのストーリーの中で登場人物を揺さぶる存在として社会的イシューが登場する。
週刊誌はじめメディアの報道姿勢
老人を狙った詐欺(悪人)
貧困女性の風俗での就労(怒り)
沖縄の基地問題(怒り)
しかし、李監督の作品はその社会的イシューに何か回答を出すことはしない。
今作でも更紗(広瀬すず)と文(松坂桃李)のことを面白おかしく消費するメディアやロリコンの少女誘拐犯という尺度でしか文を認識できない社会の未熟さが描かれているが、劇中でその社会に何か変化が起きることはない。
数年前『怒り』を観た知人が「沖縄の基地問題が出てきただけで何の結論もスタンスも示されなくて不満だった」と言っていた。
当時は「まぁ原作もそうだからね」と軽く流してしまったのだが、今となってはこれは李相日の作品を読み解く上で一つ大切な視点だったのかもしれないと思い始めた。
俳優の演技を引き出す演出手腕
というのも、李監督は厳しい演技指導で知られるから。
(李監督ではない他の映画監督について暴力的な指導の報道も出ているので、詳細があまり明らかになっていない「厳しい」を無条件に称賛するのはアレなんだけど)
社会全体を描きたいのではなくて登場人物同士の感情のぶつかり合いに興味があるということなんじゃないだろうか?
だからこそ演技指導にも熱が入る。
既に多くの感想や批評で絶賛されているのでここでは軽く触れるだけに留めるが、亮を演じた横浜流星の演技は間違いなく現時点のキャリアハイ。
撮影監督ホン・ギョンピョ
さて、次は李監督からは離れた話題を。
本作最大のポイントは撮影監督。
何と韓国からホン・ギョンピョを招聘!
カンヌ国際映画祭で高く評価された作品の撮影を手がけてきた韓国はもとより世界トップレベルの撮影監督である。
本作でも挙げたらキリが無いほど美しいショットの連続。
特に要所で挿入される屋外のカットはどれもため息が出るほど美しかった。
正直ストーリーは辛い話なんだけど映画を観てる間は惚れ惚れ。
さらに本作で印象的に使われているのがピント送り。
ピント送りというのは、ざっくり言うと手前と奥に人が配置された画面内で喋ってる人にピントを合わせるという手法。
ピントが合っていない方の俳優の顔はぼやけた映像になる(いわゆるピンぼけ)
冒頭「今週末に一緒に帰省して祖母や家族に婚約者として会ってほしい」という話を亮(横浜流星)と更紗(広瀬すず)がする場面でいきなりピント送りが。
これは「2人の気持ちが実はズレている、文字通りピントが合っていない」ことを映像的に表現している。
それ以降も他の登場人物を含めて会話シーンは基本的にピント送り。
2人ともにピントが合った映像での会話シーンは少ないはず。
そう、この作品において登場人物たちは本音や誰にも言えない秘密を内に抱えており会話をしていても真に心が通じ合っていない。
だからこそ更紗(広瀬すず)と文(松坂桃李)の2人にピントが合ったラストカットが心に残る。
個人的に印象的だったシーン
最後に、個人的に最も印象的だったシーンを挙げてこの文章を締めようと思う。
それは中盤ぐらいにある「亮に暴力を振るわれた更紗が逃げるように文のカフェを訪れる」シーン。
ここで文が更紗の口の周りの血を拭くという行為は終盤の口元に付いたケチャップを拭くというシーンへの布石になっているわけだが、僕の印象に残ったのはその後のアイスカフェオレを作るシーン。
それまで店でホットのドリップコーヒーを出し続けていた文がこのシーンでは
ドリップコーヒーを淹れる。
グラスに氷を入れる。
そこにコーヒーを注いでアイスコーヒーを作る。
さらにミルクを加えてアイスカフェオレにする。
という工程を踏んでいる(各工程もしっかり映像で描かれている。いきなりアイスカフェオレを出すわけではない)
氷で冷やしてミルクで飲みやすくする。
これは「感情がぐちゃぐちゃになっている頭を一旦冷やして落ち着かせる」という行為の映像的メタファーそのもの。
ピント送りもだけどこうやって映像で感情を表現してくれる映画は本当に良いなと劇場でガッツポーズしたくなりました。
(シーンの雰囲気には全くそぐわないので当然自重しましたがw)
完成したアイスカフェオレから画面奥の更紗にピントが送られてシークエンスが終わるのも素晴らしかった。
李相日監督作品ということでどうしても俳優の演技が注目されますが(もちろん本作も皆さん素晴らしい演技です)映像面も非常に語りどころのある作品だと思います。
一点、暴力シーン(殴る・蹴るだけでなく性暴力も含む)は結構激しいのでそういった描写が苦手な方にはオススメしません。
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