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師匠の死と時の流れ

昨日は私の恩師
サッカー界のアスレティックトレーナーで知らぬ者はいないレジェンド
三宅公利先生のお通夜があった

先生と出会ったのは私が高校生の時だった。
フジタサッカークラブマーキュリーに所属していた時、当時フジタサッカークラブ(現湘南ベルマーレ)でトレーナーをしていた三宅先生の治療院からトレーナーが派遣されていて三宅先生の代々木の治療院へケアに行ってお会いしたり、グランドでお会いしたりして、次第にトレーナーの仕事に興味を持ち、一生の仕事にしたいと思い始めるキッカケでもあった。

当時チームに来てくれていたトレーナーのいずみさんも素晴らしいトレーナーで歳も4つしか変わらないのにテキパキと仕事をこなす姿は私の憧れとなった。

その師匠である三宅先生は私にとってはカリスマで、その手から繰り出されるマッサージはまるで魔法のように感じられた。

私もこの人達のようになりたい!!
私もトレーナーになるんだと
高校卒業後日体大短大→神奈川衛生学園→はり師きゅう師あん摩マッサージ指圧師へと私を駆り立てた
晴れて国家試験をパスして
三宅スポーツマッサージへと就職するのであるが、その面接場所はなんとフジタのグラウンドで練習中の片隅で立ち話をして終わった(笑)

はれて三宅スポーツマッサージへ入社し、長い修行(今も続く)がスタートした。

雑用の合間に空いている先輩の体を借りてマッサージの練習。
仕事が終わっても時間の許す限り同期の体や先輩の体を借りて練習。

毎日帰りは深夜に及んでいたが、私の中ではお給料をもらって仕事を教えて頂いていると思っていたのでそれに不満などあるはずがなかった。
当然三宅先生の体を借りる事もあったが、緊張して良く覚えていない。

三宅先生からはマッサージの手技はもちろんの事、人の体を触る上で最も大切な事を教えて頂いた。
「いいかマサコ、俺たちマッサージ師は手で患者さんの体を診るんだ!手に目をつけろ!」
三宅先生から教わった最もシンプルで大切な教えだった。
この教えは一生物であり、今も実践と検証の繰り返しを行っている。

そう我々は「手で患者さんを診ている」のだ。

その手の感覚を養うために、受付に座っているときはずっとももを軽擦(軽くさする)をするように言われていた。
「俺は修行中ジャージが破れるまで軽擦したんだ!」としょっちゅう豪語していた。
昨日のお通夜で、先輩方はジャージ一枚しか持ってなかったんだとおっしゃっていました(笑)

ある日珍しく治療院に三宅先生がいて、お札の両替を頼まれたので、速攻で行って帰って来たら何故か怒鳴られた。

「お前はバカか!せっかく外にでた時に馬鹿正直にすぐ帰って来るやつがあるか!そういうときはゆっくりコーヒーの1杯でも飲んで休憩してこい!1日内勤してたら息も詰まるし疲れて死ぬぞ!俺は金が無くて一服出来なかったから休憩中(両替中)にコーラの瓶拾ってお金にしてその金でコーラ飲んでたんだ!俺だってそうやって修行を乗り越えてたんだ!」と謎のサボり方を伝授されたりした(笑)

ブラックだけど決して暗くない、いやいや私にとっては全くブラックではない楽しい職場でありました。

アスレティックトレーナーとして挫折し、治療院をわずか2年で辞する事になったとき「お前みたいな弱いやつはいらん!出ていけ!」と追い出されてしまいましたが、事情を理解してくれて許してもらえました。

その後もなにかにつけて心配して連絡をくれたり、父亡くしたときもお通夜に駆けつけて下さったりしました。

三宅先生の元で修行した期間は宝物のように輝く青春時代であり、辛く苦しい事も乗り越えて社会人として成長の第一歩を歩き出した時代でした。

画像は20年前
私が三宅スポーツマッサージを辞してからしばらく経った時の三宅先生の写真ですが、元気で明るく楽しくカッコ良い私が知っている頃の三宅先生そのものです。

昨夜のお通夜で遺影と共に大きく飾られていてそれを写真におさめて下さった先輩がラインで流して下さいました。

ご遺体に対面したときは涙が止まらなくなりましたが
私の心の中で師匠三宅公利先生は永遠に不滅です!

三宅先生本当にありがとうございました!
あの世でお会いするまで全力で突き抜けます!





長文お読み下さりありがとうございました!

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