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兄妹~私をかたどった身近な存在

最近あまりにも疎遠になっているので、思い出したりしなくなっていましたが、よくよく考えてみたら、私を形成してきた要素の中で外せない存在であったのが兄妹だったということに今更気づきました。
 
私が生まれて育った環境の中で大切な教訓だったりトラウマだったり、忘れないように記しておこうと思います。

私は4人兄妹の末っ子として生まれました。
7歳上の兄・4歳上の姉・3歳上の姉・私という構成です。

父はまあまあ稼ぎのあるサラリーマンでしたが、さすがに兄妹4人ともなると裕福という感じではなく、中流の中、まさしく平々凡々真ん中を行く家庭だったように思います。

母は私を身ごもったときに、さすがに4人目を育てられるか不安になり産もうかどうか迷ったらしいですが、(この世にいない可能性もあった!!)思いとどまり現在に至るわけです(^^;)

私は両親の愛情をいっぱいに受けながら育ちますが、物心ついたときに私が生まれた姉たちは、どうやら私の存在を快く思っていなかったらしく、結構ないじめにあっていたような気がします。

「あんたは妹なんだから、おやつはそんなに要らない」といっては半分横取りされたり、少なくされたり、「妹のくせに生意気」とひっぱたかれたり、見かねた兄や両親がかばっってくれた後はもっと最悪で、いなくなったとたんに「あんたが泣くから私が怒られる!」と言っては殴られたり蹴られたりしたものです。
後に兄は「かばってやると余計やられるのを知ってたからだんだん見て見ぬふりをした」と言っていました。
それは小学生までは続いたような気がします。

不思議なもので家での居心地があまり良くないと、学校が逃げ場と化して、学校でもいじめてくる人とかいても家に帰るよりずっとましだったりして全然つらいとか思わないし、後で考えたらあれいじめだったよなぁとか思うことも全然気にならないし(あだ名が鼻でかだったこととか^^;)姉達の執拗な妹縛りの言いがかりの数々によって、私のメンタルはドンドコ強くなっていくのでした^^;)
それから安心して、自分の食料を確保できる給食の存在は神で、どんなに友達が少なかろうが、いじめてからかう人がいようが、私は給食を食べる為に学校へ行く!!と決めて、毎回のおかわりに命を懸けていたことをとても懐かしく思い出します^^;)

サッカーを始めてからはますます家から離れて快適。
考えてみたら私は安住の場所を外に求めていたのかもしれませんね。
だからあっちだこっちだ出かけて行ってはわぁわぁ騒いでいるのかもしれません^^;)

姉たちがそれぞれの道を目指し家を出てからは家も安住の地となったため、私は結局25歳まで実家で過ごしましたが、幼いころは家で過ごすほうが緊張感満載でいつも怯えていたように思います。

なので、「兄弟姉妹仲がとっても良いんです~」とか聞いてもまるで別世界のように感じます。
全部が全部うちと同じだったら怖いので、よそはよそでどうぞ仲良くしてください、と思いますが、私は兄妹なんて言うのは生存競争のライバルなので別に仲が悪くて当たり前という感覚です(幼いころは^^;)
ちなみにうちの娘は弟がやっぱり嫌いで(大切なものを壊されまっくったので)かなり辛く当たっていますが、大体が息子に非があるので、見守っています。

あんたはお姉ちゃんなんだから我慢しろ!
と言ったりしたら最悪!
あんたは妹なんだから!!
と同じ理論でもの事を処理することとなり、私のトラウマの再現を作り出すことになってしまうからです。

起きてしまったことの責任の所在をはっきりして、悪いほうに謝らせればいいだけなのに、兄弟姉妹の順列によって事を捻じ曲げる事のなんと理不尽な事か!

と、いうわけで毎度息子が謝っています^^;)

そして私は姉たちの理不尽な仕打ちのおかげでどこまでも打たれ強くなり、サッカーの試合中に凡ミスを連発してキャプテンに「お前みたいなやつは死ね!!」と言われてもしれっとプレーをし続け、チームメイトに「あんた良くあんなこと言われて耐えられるね!私は無理だわぁ」などと言わせるまでにメンタルを鍛え上げたのであります。

今の私がこうしてここに存在できるのは、あの家に生まれて育ったからにほかなりません。

私は両親も、兄妹も、まったく恨んでなどいません。

むしろ感謝の念しかありません。

叩かれて踏まれたからこそ今があり、数々の事件を乗り越えたからこそ学んだのです。

恨んだり憎んだりしたらばちが当たります。

なので今は兄妹仲良く助け合っています。

みんな大人になりましたからね!!




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