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[自己紹介]統合失調症のまさふみです。(幼少期、小中高生、浪人時代編)

 おはようございます、こんにちは、こんばんは。挨拶って時間帯ごとに違っていて素敵ですよね。どうも統合失調症のまさふみです。今回は簡単にではありますが、僕の自己紹介をさせてください。特にこの記事では、幼少期、小中高生、浪人時代の私を紹介しようと思います。まだ四半世紀と少ししか生きていませんが、私がどのような人生を歩んでいるかを紹介できたらと思います。軽い気持ちでご覧ください。

幼少期の僕

 1994年、私は茨城県で生まれました。体重は1kgに満たない未熟児で生まれてきました。産んでくれた母親には感謝の言葉しかありません。

 僕の持つ最も古い記憶は1歳の頃です。祖父の葬式の記憶です。私は父の背中におぶさりながら出席したのですが、焼けたばかりの祖父の遺骨を素手で触り火傷した記憶が一番最初の記憶です。一般的な子供は1歳の記憶はまだないということですが、火傷して「あちっ」ってなったことで脳裏に焼きついたのではないかと思います。

 僕の家庭は、かなり教育に熱心だったと思います。幼稚園の頃からしまじろうで有名な「こどもチャレンジ」を始め、小学生に入る前からひらがなの読み書き、時計の見方、簡単な足し算引き算はできるようになっていました。僕自身勉強するは好きで、テキストが届くのが楽しみで仕方ありませんでした。この当時の勉強の習慣が今の自分を形成していると言っても過言ではありません。

小中学生の僕

 小中学校は公立のごく普通の学校に入学しました。やはりその当時も勉強は大好きで、学年テストでも「ほぼ」トップの成績でした(中学最後の方は3,4番でしたが)。運動神経もかなりいい方で、特に走るのと泳ぐのが速かったです。

 こんな感じで、周りからは「まさふみ君は勉強も運動もできてすごいね。」と言われてきましたが、全くと言っていいほどできなかったこともあります。それがコミュニケーションです。特にフリートーク。友達と楽しく会話する、自分の意見を話すといったことが何一つとしてできませんでした。それにもかかわらず、頭が良いからといった理由で、学級委員を任されたり、中学時代には生徒会長にもなってしまい、当時はかなり苦労した覚えがあります。生徒会長にもなると全生徒の前で話すことも多いのですが、フリートークができないとなると致命的です。そうしてとった作戦が、事前に話す言葉をメモして一言一句覚えてくるというものです。呼吸の取り方、ボケのかまし方、滑った時の対処法など全てを考えてきて臨みました。その結果、面白い風の生徒会長にはなれたのではないかと思います。

 一方で僕は、あらかじめ用意したメモがないと、親しい友人や家族とも話せなくなりました。友達に会いにいく時は、今日話す内容、相手が話している内容への返し方などをメモし練習してからじゃないと話せなくなりました。それは大人になった今でもそうです。幾分マシにはなったものの、人と話すときは必ず話す内容をメモするというのが習慣化されました。これが後々、統合失調症になる理由にもつながっていきます

高校生の僕

 高校生の自分を一言で表すならば「真面目系クズかつアホ」だったと思います。周りの人からは勉強も部活もかなり頑張っているように見られていたと思います。しかし実際のところは、家に帰ってらほとんど勉強もせずすぐ寝ていました。宿題もいつも提出期限ギリギリで、苦手な国語や世界史に関しては丸写しがバレない程度にところどころ手を加えながら写して提出していました。勉強そのものは好きでしたが、時間が足りず、「周りからよく見られたい、体裁だけでもうまく保ちたい。」と思った結果、身にならない学習を続けていました

 友達とのコミュニケーションは相変わらず苦手でした。何を話したらいいか分からず、首を縦に振るか横に振るか、それかとりあえず愛想笑いをするぐらいしかできませんでした。2年生になり親友と呼べる人たちに出会いましたが、その親友とでさえうまくは話せませんした。
 
 そんな中ですが、自分の目標や夢も見つけました。それが2年生の時にテレビで放映された鳥人間です。東北大学Windnaustsのパイロット中村琢磨さんが、絶叫しながら、巧みなフライトコントロールで機体を操り、自分の限界まで漕いでいる姿を見て、自分も人力飛行機のパイロットになりたいと思いました。その結果、志望校は自ずと決まり、東北大学を第一志望にしました。

 しかし、受験は失敗しました。圧倒的実力不足でした。当然と言っちゃ当然の結果です。しかし、初めてできた自分の目標を諦めきれず、親に無理言って浪人をさせてもらいました。

浪人時代の僕

 今思うと、浪人時代が僕の人生の中でもっとも楽しかったと言えます。浪人時代は好きな勉強のために1年という期間が準備され、勉強さえしていればよかった訳ですから、私にとっては最高の期間でした。

 理系科目はしっかり土台が作られ、着々と成績も伸びていきました。しかし、最後の最後になっても伸びなかったのが国語です。大人になった今振り返ってみると原因は2つありました。一つ目は、読む速度の遅さです。大人になってからさまざまな人と出会い気づきましたが、私は文章を読む速度がとても遅いです。私は、声に出して読める速度が脳で処理できるトップスピードです。一般の人は、目で追える速度や目に映る視野の領域で文章を追えると言います。それが原因で、国語の入試問題は時間内に読み終わったためしがないです。

 二つ目の原因は、記憶力の問題です。一般の人は、読んだ文章の内容をある程度頭の中に留めておいて問題を解けるそうですが、私は次の一文を読んだら前の一文の内容を忘れてしまいました。なので読んでも読んでも先に進まず、同じ文章を頭に入るまで何度も読み返していました。

 その二つが原因で、国語はいつまで経っても成績が上がりませんでした。2回目のセンター試験も結局200点満点中78点で現役の頃よりも点数が酷かったです。

 そんな感じで国語は酷かった一方で、そのほかの理系教科は成績も良かったので、無事第一志望の東北大学工学部機械知能・航空工学科に合格しました。

まとめ

 私の19歳までの自己紹介はいかがだったでしょうか?まとめると

  • 勉強も運動も好き

  • コミュ症

  • 高校時代はクズ

  • 国語苦手

  • 浪人して第一志望合格

こんな感じです。今後、大学生、大学院生、社会人編を公開する予定です。その中で、統合失調症になった原因や、どのように病気と付き合い回復していったかをお伝えするつもりです。楽しみしていていください。

 それでは本日の投稿は以上です。ありがとうございました。


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