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[自己紹介]統合失調症のまさふみです。(大学、大学院編)

 こんにちはー。今日もお昼ご飯に団子を貪り食うまさふみです。
 今回の記事は、前回の自己紹介の投稿の続きです。大学、大学院の学生時代の自分の紹介をできたらと思います。このあたりから、病気との付き合いの話も出てくるので、楽しみにしていてください。

大学時代

 私は、一浪して東北大学工学部機械知能・航空工学科に入りました。宮城県の仙台にキャンパスを構え、素敵な環境で勉強や研究に励むことができました。

 大学時代は、良くも悪くも色々な経験をさせてもらいました。たくさんお話したい話題があるので、勉強・ボランティア・部活・病気に分けてお話しようと思います。最初に話しますが、勉強・ボランティア・部活など全てを両立することはできませんでした。全部取りをしようとした結果、体調に支障をきたし、統合失調症になりました。順を追ってお話しするので、しばしお付き合いください。

勉強

 入学した当初は、宇宙探査工学に憧れていました。火星探査で有名なCuriosityのような探査ロボットを作りたいと思っていました。しかし、大学で勉強をしているうちに医療福祉工学に興味を持ち始めました。医療用ロボットや福祉機器によって、工学の立場から医療や福祉に貢献したいと思うようになりました。

 勉強は1年生の頃まではかなり上位にいました。周りの学生が苦労する実験レポートでは、気合いと根性で上位2%の最高評価をいただきました。

 しかし、2年生に進級してからは、部活と勉強との両立が叶わず勉強を疎かにしてしまいました。当時は勉強の方法がいけなかったと反省しています。私は誰にも頼らず自分だけの力で全て解決しようとしていました。自分だけで問題解決できることに面白さを感じていました。その結果、時間ばかり食ってしまい、授業についていけなくなりました。

 それが原因で、行きたかった研究室にはいけず、やりたくもない研究をし、何のために大学にいるのかも分からなくなりました

 ですが、大学時代に唯一所属しておいて良かったと思えるのが、次に話すボランティアです。

ボランティア

 私は、Chance for Children (通称CFC)と呼ばれるボランティア団体に所属していました。CFCは子どもの貧困・教育格差の解決を支援する団体で、その活動の一環として、小中高生に対する電話相談を受け持っていました。スタディクーポン(詳しくはサイトをご覧ください)を利用しているご家庭へ電話をし、大学生というお兄さんお姉さんの立場から、雑談や相談に乗るという活動をしていました。

 その時に身につけたスキルが「傾聴」でした。相槌やおうむ返しをしながらとにかく相手の話を聞くというものです。その時に教えられたのは、話すと聞くの割合が「1:9」になるように、とことん相手の話を聞くというスタイルでした。

 もともとコミュニケーションが苦手な自分でしたが、「傾聴」というこんなコミュニケーションスタイルがあるのだと感銘を受けました。また、自分の話をするのが苦手な私にとっては、傾聴は得意なスタイルでした。傾聴を自分のコミュニケーションの軸に置くことで、人との会話にも加われるようになり、人との交流を楽しめるようになりました。

 今の自分があるのは、CFCのおかげです。本当に感謝しています。

部活

 私は、鳥人間で有名な人力飛行部に所属しました。これが目的で東北大学に入学したと言っても過言ではありません。この部活でパイロットになり、鳥人間の大会で琵琶湖の空を飛ぶのが私の夢でした。しかし、その夢は叶いませんでした。

 パイロットの選考は1年次の最後にあります。選考基準は自転車を1時間漕いだときのパワーとその時の体重から評価されます。(要は体重が軽くてパワーが出るほど良い。)そして同期メンバの前でするプレゼンによってパイロットが決まります。

 パワーと体重はそれほど悪い結果ではありませんでした。しかし私に足りなかったのはメンバからの「信頼」でした。最終的にパイロットに選ばれた友達はみんなから慕われ、こいつなら自分たちの機体を任せてもいいと思える人でした。対して私は、内気で何を考えているのか分からないようなやつでした。誰もこんな奴に自分たちの命を削って作り上げた機体を預けようとは思わないでしょう。最終的には、全員一致でその友達がパイロットに選ばれました。

 その後、私は人力飛行機を製作する側の人間として部に残りました。そして、私たちのチームは鳥人間コンテストで準優勝という輝かしい成績を残しました。

 しかし私の心には何も残りませんでした。心にアナが空いたとはこのことかと思いました。無の感情です。何も感情がわかず、何も行動できず、頭がおかしくなりました。

 そして病気が私を蝕んでいきます。

(ここまで自分を苦しめた部活ですが、恨んだことは一度もありません。部活ではエンジニアとしての心構えを学ばさせていただきました。かけがえのない経験です。自分がこうなったのは、部活のせいではなく、明らかに自分のマネジメント不足です。もっと周りにヘルプのサインを出しておけば良かったと今なら思います。)

病気

 本格的に病気になったのは3年生の夏からでした。何に対してもやる気が起きず、思考も歪んでいました。「う○こ味のカレーとカレー味のう○こどっちがいい?」という問いが小学生の頃にはやりましたが、それに対する回答が「どちらも一緒、どちらも食える」というのがその当時の私の回答でした。とにかく当時は何も感じませんでした。

 薬を飲み始めて、気分が良くなる日もありました。気分が良くなって何でもできる気になり、塾講師のバイトも始めました。しかし、それも長続きせず辛くなり3ヶ月で辞めました。調子が良い日10日間、調子が悪い日3ヶ月が交互にやってくるような状況でした。

 そして、人との交流をするのが嫌になり、全ての連絡先を消しました。LINE、Facebook、Twitter、Instagramなど全ての連絡先、SNSを削除しました。

 そんな私でしたが、唯一心を落ち着かせられる存在がありました。それが大学数学や物理です。どうしてこの数式は成り立つのか、どうしたらこの問題は解けるのかなど、考えを巡らせている間は、正常な自分でいれた気がします。当時は、数学や物理だけが私の友達でした。今でも数学の勉強を続けているのは、これが理由かなと思います。

 大学学部時代の話は以上です。続いて大学院時代の話に移ります。


大学院時代

 私は、東北大学を逃げるようにして東京大学大学院工学系研究科に進学しました。大学を卒業後、半年間勉強して、秋入学で大学院に入りました。
 ここでは研究・就活・病気に分けてお話しようと思います。

研究

 大学院入試は、しっかり勉強を重ねたことで希望の研究室に身を置くことができました。私の研究室では、ロボティクスの領域で人の生活を支えたり、逆に人とは何かをロボットや制御の考えから探るという研究分野を携わっていました。特に私は、人の指の動きを計測できるウェアラブルデバイスの開発をしていました。その技術をもとに医療、福祉、エンタメに役立てたいという背景があります。

 自分の専門は機構学であったため、とにかく作っては試すという生活でした。CADで設計し3Dプリンタで造形し、デバイスを作り、実際に手に取り付け指の動きを計測してみました。

 私がつまずいたのは、研究の中身よりも、研究発表でした。私を担当してくれた指導教員は、研究発表にロジックがあるか、ストーリーが整っているかなどを見てくれました。学部時代は研究の成果ばかり重視されていたので正直驚きました。ですが、研究発表は自分の研究を世に伝えるための1つの媒体であるため、いかに相手に伝わりやすい研究発表であるかどうかが重要視されました。大学院で学んだことが、社会人になってからのプレゼンなどにしっかり生きていると思います。大学院時代の教授、助教には本当に感謝しかありません。

就活

 就職活動はかなり苦労しました。
 まず、どんな軸で就職活動をしたかについてお話しします。私は、医療福祉機器およびシステムに携われるような企業を軸に就職活動していました。もともと医療福祉機器に興味があり、モノづくりで医療福祉を支えたいという強い思いがありました。最終的には、病院などで使用される電子カルテの開発に携わる企業に内定をいただきました。なので、概ね自分の希望通りの会社に入ることができました。

 しかし、最終的に内定をいただくまでには50社ほどエントリーしました。その大半が書類選考で落とされ、面接もほとんど通りませんでした。当時の反省点は以下の2点です。

  • 自分の伝えたいことばかりを伝え、相手が聞きたいことを伝えられない

  • やった「つもり」の自己分析

以上の内容は、また別の記事で詳しくお伝えできたらと思います。楽しみにしていてください。

病気

 病気が再発したのは、修士2年の夏頃です。私は秋入学だったため就活の時期と研究が忙しくなる時期が被ってしまい、体調を崩してしまったのだと思います。症状としては、以下が挙げられます。

  • 嫌な記憶がフラッシュバックする。

  • フラッシュバックした時に、奇声が出たりモノを叩いたりする。

  • 頭の中が騒がしい。

  • 文章の読み書きできなくなる。

そうして診断されたのが統合失調症でした。診断の決め手となったのは、「頭の中が騒がしい、声が聞こえる」だそうです。統合失調症の代表的な症状である「幻聴」になる一歩手前の段階なんだそうです。

 統合失調症って奥が深いんですよね〜。大きく分けて「陽性症状」「陰性症状」「認知機能障害」に分けられるそうなんですが、トータルでは50種類以上の症状があるらしいです。(全ての症状が発現する訳ではなく、人によって様々です。)詳しく調査したら、こちらも記事にあげようと思います。

 結局私は、夏卒業は叶わず、半年間留年することになりました。

 統合失調症の厄介なのは、頭の中が騒がしいということです。とにかく色々な考えが頭の中に湧いてきて処理しきれなくなります。その結果「フラッシュバック」「幻聴」「幻覚」などが発現します。そんな症状に対処するために、私が取った対策が紙のメモにアウトプットするということです。自分の中に浮かんでくる考えや思考を全てメモに書き綴りました。そうすることで、頭の中の余計な思考が排除され整理されます。この作業を行うことで、騒がしい頭はスッキリしフラッシュバックや幻聴なども一時的に収まりました。

 その結果、家族や恋人、研究室の先生方のお力も借りて2021年3月に大学院を卒業できました。

まとめ

 私の学生時代はいかがだったでしょうか?まとめると以下のようになります。

  • 大学時代クソ忙しかった(圧倒的に自分の要領が悪い、マネジメント不足)

  • 大学院時代はそこそこ忙しい(だがやりたいことできて満足できた)

  • その結果、体調崩す

  • 統合失調症にはメモが有効

こんな感じです。
 
 続いて、社会人編の自己紹介も投稿するので、機会があればご覧ください。
 
 それでは、本日はご覧いただきありがとうございました!


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