映画『リトル・フォレスト 夏・秋』の感想を書いていたはずが自分語りになってしまった。

小森ほどではないけど栃木の結構な田舎で、兼業だけど農家をやっている家でぼくは育った。この映画を見て、自分は田舎的なものから逃げてきてしまったなと感じた。小さい頃は農作業を手伝ったりもしていたけど、だんだんと避けるようになっていた。

ぼくは逃げ続けてきた。だから、主人公の幼なじみが発したセリフはグサッと刺さった。人にとって確かなことって自分が実際に体験したことだけなのに…街の人間は何も知らないにもかかわらず、何でも知っているような気になって大きな顔をしている…そんなようなことを言っていた…はず。耳が痛い。ぼくは都会の人間ではないんだけど。父親や祖父母と同じことをしろって言われてもぼくにはできない。一つ一つの作業ならGoogleを見つつ記憶を辿ればできるかもしれない。でも頭の中にカレンダーが入っていない。やっぱりできない。彼らを尊敬する。

田舎には密接な人付き合いがある。それ自体は良いことだ。でも、それは噂話、時には陰口という形であらわれる。それが嫌だった。あれは息苦しさだったんだと思う。都会育ちの人を羨んでいた。いろんな刺激に触れられる。文化がある。田舎は田舎でも、せめて電車のある田舎に住みたかった。車がない子供はどこにも逃げられない。バスはあったけど。でも駅まで片道660円もする。往復1320円。やっぱり子供は逃げられない。中学生になって片道18kmの学校にママチャリで通うようになってほんのちょっと世界が広がったりはしたけれど、それはまた別のお話。

とにかく、ずっと文化資本の無さを感じていた。無教養を痛感していた。思えば高校でクイズ研究会なんてものに入ってしまったのも、そのへんが関係しているかもしれない。東京には文化施設がたくさんある。大学に入ってからは劣等感のせいか美術館や博物館によく行った。大学がパートナーシップに入っていてタダで入場できたので、高い学費のモトを取ろうというケチ臭い気持ちもあっただろうか。最初は何が面白いのか分からなかったけど。それでも通った。

この映画を見たことで、田舎で過ごした日々もあれはあれで一つの経験だったのかもしれないと思えるようになった。やっぱり田舎はいいな〜なんて無邪気に言ってしまわないというのも、ある種の教養なのかもしれない、なんて。いやね。田舎暮らしに憧れる気持ちも分かるのよ。それがいけないと言う気も、馬鹿にする気もない。ぼくだって映画を見ていて素敵な暮らしだなと感じた。就職先決まらなかったら地元に戻るのもアリかもな〜なんてチラついたことも白状しておこう。でも、ぼくは小規模な農家が次々に廃農しているのを見ている。実家も稲作はやめて今では家庭菜園くらい。専業農家になるのは難しいし、兼業として選べる職だって東京と比べたら多くない。

そういえば主人公はどうやって収入を得ているんだろう。作物は自分で消費する分だけっぽいし、季節のバイトじゃ賄えないだろう。というか、いつの時代の話なんだろう。20年、30年前ならこんな感じになりそうだけど、その割には田んぼの区画整理がしっかりなされていたし。いや、そういうところもあるのかな。まぁ、いいや。また話が逸れた。閑話休題。

耳が痛いと感じるのと同時に、件のセリフにちょっと反感を覚える。え?自分の目で見たものは信じちゃっていいの??なんでそこまで行って哲学やらないの???みたいな疑問。これこそ頭でっかちになってしまった人間の末路という声が聞こえてきそうだ。もう少し真面目な話をしよう。それって自分の生まれ育った環境での常識こそが常識だと思って疑わない態度じゃない?自分が感じてきた不満と強くリンクする。地元にいると街の人間はこんなことも知らないのかみたいな言葉を時折耳にする。都会で育った人間にしか分からないことというものもあるんじゃないかとずっと思ってきた。育ってきた環境が違えば常識が違う。それだけの話じゃないか。傲慢だ、と。

確かに田舎の人は身の回りのことはなんでもできる。でも近代は専門化・分業化とは切り離せない。近代化の恩恵を受けつつ、専門しか知らない人間を否定するのはズルい気がした。リベラルアーツカレッジを自称する大学を卒業し、大学院に入ったものの挫折して自分の専門性の無さに直面し、最近ようやく重い腰を上げて就活らしきことを始めた人間は「専門性」というものに向き合わざるをえない。専門に特化するってよく考えたら不思議なことだ。専門を極めていくってことは、自分だけじゃ生きられなくなっていくことでもある。人間としての全体性を失う。ある意味で歪になっていく。……長くなりそうだ。また今度にしよう。映画の脚本家?原作者?は何を思ってこの一言を語らせたんだろう。田舎で生まれた人間としての異議申し立てだろうか。それとも都会の人間としての自己反省だったろうか。

何もできないくせに偉そうに、なんて怒られてしまうだろうか。その通りだと思います。ごめんなさい。なんやかんや言ったけど地元が嫌いなわけではないんだと思う。それでも、どこか閉塞感や息苦しさを感じていたということは否定できない。田舎を出たけど都会の人間にもなりきれない、中途半端でどうしようもない人間の戯言だと思って聞き流していただければ幸いです。

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