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すきなきじ

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2019年7月の記事一覧

雑談が好きなことと、本をつくることについて

わたしは雑談が好きだ。 あまりに雑談が好きすぎて、昨日は自らイベントを主催してお客さんも呼んで雑談をした。「スイスイサクサク 公開よむラジオ〜今日もぜんぜんわからない」 イベントテーマの「今日もぜんぜんわからない」というのは、スイスイとふたりでやっている「スイスイサクサクよむラジオ」で、わたしとスイスイがあまりにもあらゆることにおいてちがいすぎて、いつも「え、そんな人いる?」「なにそれぜんぜんわかんないわ」となることからきている。 「この人の言ってることがわからない」と

自分で決めていることなど、実はそれほどないのかもしれないけれど。

帰り道、ほろ酔いで隅田川を歩いていると、なんてことのない階段でつまづき、こけてしまった。こけたのは、私が不注意だったからという理由はもちろんあるけれど、そこに「階段があったから」、こけたのだった。 同じように帰り道、気づいたら無意識的に、道路にある白い線(車道外側線というらしい)の上を歩いていた。これは、私がほろ酔いだったという理由はもちろんあるけれど、そこに「白い線があったから」、私はその上を歩いていたのだった。 そのときに、私は以前読んだ『ごめんなさい、もしあなたがち

『ストーリーを売る』への僕の違和感

代表の池内です。 これからIKEUCHI ORGANICのnoteで、僕がどんなことを考えているのかを書き綴っていきます。 今回は、『ストーリーを売る』ということへの僕の違和感についてです。 最近、「モノを売るより、ストーリーを売れ」というようなことが、ビジネスやマーケティングの本によく掲載されています。ただ、こういった表現を目にするたびに、なんだかモヤモヤとしたものを感じるのです。 ストーリーを売ることがダメと言いたいわけではないのですが、とにかく、僕らは「違う」と

「ストーリー」で人は動くのか?

「ストーリーをしっかり伝えよう」 結構、僕のプロジェクトでご一緒するパートナーは聞く言葉だと思う。 同時に同業には「ストーリーで人は動くのか?」という問いが多い。 ただ経過を伝えるだけでは機能しないと思う。そして世界は物語に溢れている。その中でこれだというものを見つけなければ物語を語っても意味がない。と僕は思っている。 遡れば、この手法は8年前に思いついた。今でこそストーリーテリングと言われ一つの手法となっているが、2011年頃ではまだ誰もやっていなかったように思う。HO

僕が文章を書くために毎日してること

僕はもうなんだかんだ7年くらい前から「メルマガをやってみたら?」と周囲の人から勧められていたのですが、どうも重い腰が上がりませんでした。当時はcakesに連載書いたりしていたのですけど、原稿を書くという作業をどうにも大変に感じたからです。それに、そもそも原稿書く以外に普通でフルタイムで仕事してますから、はっきり言って現実的なオプションとは思えなかったんですね。 でも、去年の10月の半ばにふと思い立って始めてみました。しかも、週1回にしておけばいいのに、何を考えていたのか、毎

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3ヶ月後を計画して今日を過ごす

働いてると一定のクォーター(4分の1のこと)で物事を見る。なので1年は4つのクォーターで分けられている。うちの場合、7月に期初なので7−9月、10-12月、01-03月、04−06月である。ちょうど、夏→秋→冬→春くらい。 大抵は期初に1年間の計画をたてる。どのくらいの出ていくお金があり、それに対してどれくらい粗利を出していくか。この期初のところ、結構どんぶり勘定になる。だって1年後の今なんて想像つける方が難しい。なのであくまで希望的観測。そこいかないとマジダサいぞ俺、くら

作る、売れる、届ける、を繰り返すことの出来る喜び。

手作りの良き品々、ハンドメイド。 しかしこのハンドメイドという言葉の持つニュアンスが年々少し変わってきている気がして、『 ハンドメイド作家 』と呼ばれることに軽い抵抗感を持ってしまう。 ハンドメイド=趣味の手芸や簡単なアクセサリー ハンドメイド作家 =主婦のおこずかい稼ぎ 誰でもタダ同然で簡単に作れておこずかい稼ぎができるハンドメイド!みたいなテレビの特集などの影響なのか、誰でもハンドメイド作品を売れるサイトの間口が広まっているからか、なかなかこのむずがゆいイメージが拭