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雑記やで

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内容はなんでも、その時書きたいことを書いてまとめてます。
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#ゆるく考える

人生100年時代を生きているぼくたちは、スクワットをする

ちきりんさんのこんなツイートを見て、驚いた。 ぼくは1991年生まれだから、本当に100歳近くまで生きる可能性がそれなりに高いということになる。 嬉しいのかそうでもないのか、なんとも言いがたい。 大好きだったおじいちゃんは83歳で死んだから、ぼくもだいたいそれくらいの年齢まで生きられたらいいなと思って過ごしてきたのに、100歳まで生きるってことになったらどうしよう? 一応そこまでを想定した人生設計が必要になってくるね。 長生きするにあたって最も重要とも言えるのが、足

妻、ヨメ、奥さん。どのことばを使う?

ことばの持つ力って本当にすごい。 ことばにすることで自分の考えや気持ちがより明確になる。より強くなったりもするし、その通りに現実化していくこともある。 だから、どうなりたい・どうありたいということをきちんと ことば にしておくことは、とても大事だと思う。 人に対しての場合も、よく考えてことばを使わないといけない。 なにげなく使っていることばでも、よくよく考えてみると正しい使い方ではない、ということはよくある。より相手に伝わるように、ことば選びは本当に大切だ。 使うこ

ゆるい ゆるい うるさいな

noteのマイページを見て気づいた。 ぼくの書いた直近の4つのnoteのうち、3つのタイトルに「ゆるい」ということばが入っている。まさかの4分の3!!驚異の75%!! 今回のタイトルにも入れてしまったから、なんと5分の4!!!恐怖すら感じる80%!!! あまりにも ゆるさ を求めすぎじゃない? 全く意識していなかったことだから、本音なんだろうし、なんら異論はない!締め付けがきついのは嫌いだから、少し前にパンツもボクサータイプからトランクスに変えた (これはまた違う?)

もっと力をぬいて ゆるく考えてみる

日常生活で考えることや自分自身のこと、noteで書くことも、真剣になりすぎてしまうきらいがある。 それが悪い、とも言えないんだけど、もっとゆるくていいかもしれないな、と思う。ものごとを真剣に受け止めて考えてするせいで、よけいに悩んでしまいマイナス方向の感情を増幅させてしまっていることがある。そしてときにはプラスの感情でさえ、重荷にしてしまうことも。 まじめか。 まじめであることはいいことだし、不真面目になるつもりはないんだけど、気張らず肩の力を抜いていたい。無理をせずあ

爆笑ではなく もっとゆるいやつを

まじめなことを書く日が続いていると、「笑いが足りとらんぞ!」という謎の危機感を覚える。 昨日もその危機感があって、「旅行のことについてなら面白くなるやろ~」と考えて書いてみたら、「…いや、結局まじめやん!!」という内容になってしまった。 いつからこんな、まじめバイアスがかかったような文章を書くようになってしまったんだ?と、思い返してみると、noteを書きはじめた当初からで、愕然としてしまった。。 数は少ないけれど、読んでくれる人がいるという事実があるんだから、少しでも何

「好き」と同じくらい「嫌い」も言葉にして伝える

レバーが嫌い。レバニラも嫌いだ。 食べ物に関しての「嫌い」は、なんのためらいもなく言える。「好き」は言わずもがな。 雨が嫌い。自慢話が嫌い。 ものごとに対しても言うのは簡単。 じゃあそれが人に対してだったら? あの人は嫌い、と言うのは、ただの悪口になりがちだから、省くとして、大きな括りとして言葉にする場合。たとえば、 約束を守らない人は嫌い。 これは言える人と、言えない人がいると思う。ぼくはなかなかはっきりと言えないことが多いんだけど、フラットに言える人にあこがれ

「教える」から学ぶ

だれかに何かを教えるのって、結構頭を働かせないと上手くできない。使うことばや伝える順番など、他にもたくさんを考えてするから、大変でもある。 でもその過程で、頭の中が整理されて、理解が深まったり、客観しできたり、考えを言語化出来たりと良いことずくめですやん。 教える相手がいなくても、普段から「これを人に教えるなら…」と意識して考えるようにしていれば、もっともっと成長していけるはず。 といいますか、現代において、教える相手がいないなんてことはない。ネットでどれだけでも発信を

腹八分目は母の愛

おなかが痛い。 晩ごはんを食べすぎた。とは言っても、サラダを食べすぎただけだから健康的な腹痛ではある。 ちょっと多いな。今日と明日の二食に分けようかな。と少し考えたけど、味見したら予想以上においしかったもんだから、全部食べてしまった。歌を歌っても、文章を書いていてもやっぱり気は紛れない。おなかが痛い。 思えばハタチを超えたあたりまで、どこまでが腹八分目で、どこまでいけば満腹なのか、よくわかっていなかった。そしてある日、ふと気づいた。 今まで満腹だと勘違いし続けてきたの

「貢献感」はきっと愛を注ぐことから

なんだか最近もやもやする。 思いあたる節はたくさんある。 まず仕事に関して、自由がない、立場上制限されることが多い、本当にやりたい業務をできない、、など、挙げだしたら愚痴だけで2万字を超える大作を生みだしてしまいそうなので、ほどほどにしておきましょう。 『嫌われる勇気』(アドラー心理学)でも言われているのが、「幸福とは貢献感である」ということ。 そして現状、今の仕事に対して貢献感が本当に全く感じられない。ぼくに問題がないとは言わないし、この状態にあっても出来ることはあ

おもしろいを追求した先に、であれば

おもしろおかしく生きていきたい。 やれ起業だ、複業だ、フリーランスになれ、影響力をつけろだの、これらの方向に進んでいくことが今の時代の生き方だ。とでもいわんばかりの風潮が近年ある。正直息苦しい。 それはそれで、選択として正しくって賢いものではあるんだけど、ただ正しい選択をすることが幸せに繋がるかどうかは、また別のお話。 どんな風潮があろうと、じぶんの心に対して素直にいられるようにしたい。あるひとにとって仕事は生きがいかもしれない。またあるひとにとって仕事はただの生活の手

笑いのとりかたを考える

昨日も「笑い」に関することを少し書いたんだけど、もっと深堀りできるなと思ったので今日も笑いについて考えます。 どうやったら笑いをとれるんだろう。 よく言われるのが「笑いは緊張の緩和で起こる」ということ。 ここ最近Amazonのプライムビデオにある「ドキュメンタル」を観ているんだけど、あれはまさに緊張の緩和の典型的な例でもあると思う。出演者と同様に、なぜか自分もできるだけ笑わないようにしてしまうのが緊張。その中で繰り出されるボケによる緩和は、どうしても笑うよね。 あそこ

友達に話しかける

それとなくカッコつけた文章を書くようにしてないですか!?と、己に問いたい! あなたはそんな人じゃないですよね。普段は絶対に使わんような言い回しとかしてますねー。なんなんですか、やっぱりカッコつけてるんですか? ありのままでいたい。使うことばも、ことばに乗せる気持ちも。 場所や相手によっての使い分けも必要ではあるけど、とりあえず、ここnoteにおいてはゆるく楽しく書くことを続けていたいと思う。だから、はあちゅうさんが言うように、しばらく会っていない友達への近況報告、くらい