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女子小学生と私

【ラジオ体操257日目】

こんばんは。 
昔から、困っている人から声をかけられやすい謎の特性を持っているので、知らない土地でも道を聞かれてこちらが困ってしまうコマリストです。


今日は『やらない善より、やる偽善』というテーマで書いていきたいと思います。


みなさんは困っている人を見かけた時に、どんな対応をしているでしょうか?


私は昔から、どこへ行っても知らない人から声をかけられて、困り事を相談されるという特性を持っています。


そのせいもあってなのか、困っている人をどうしても無視できない性格になってしまいました。


今日は、公園で女子小学生から声を掛けられた出来事から学んだことについてのお話です。


決して犯罪者みたいな話では無いので、気軽に読んで下さいね。

公園での出来事


さて、まずは私が公園で女子小学生から声をかけられた出来事について説明していきます。


家族で公園を歩いていたところ、突然1人の女の子が駆け寄ってきて声をかけられます。


「すみません。友達が転んで足に怪我してしまったんです。絆創膏持ってませんか?」


何かの営業ではありませんよw


私以外にもたくさんの人が公園内にいるのに、どうして私に声を掛けるのか。。


いつもの事ながら、そんな疑問を持ちつつ、話しかけてきた女の子に答えます。


コマ
『ごめんね。絆創膏は持ってきてないんだよ。』


小学生
「そうですか〜。突然すみませんでした。ありがとうございます!」


たったこれだけのやり取りではありましたが、皆さんだったらこの後どうされますか?


実はこの後、私の性格と大人としての責任について考えさせられる事に発展します。


絆創膏を持っていなかったのは事実です。


ですが、絆創膏を渡してあげられなかったことが気になって仕方がなくなってしまいました。


そして、近くのコンビニまで車を走らせ、絆創膏を購入して公園に戻りました。


怪我をした子が帰宅していたら、しょうがないと思いつつ戻ってみると、まだ公園に残っていたので、絆創膏を手渡しました。


気を使わせないように、”車に戻ったらたまたま見つけたから”と伝えて絆創膏を手渡すと、驚くほどの感謝をしてくれました。


本当に良かった。


少しだけ良いことをしてあげられたことに、満足しつつ自宅に向かいました。

感覚のズレ


さて、この出来事は私の単なる自己満足と言われても仕方がないことのようにも思えます。


ですが、この場に一緒に居合わせた家族との会話から、色々な気づきを得ることが出来たんです。


小学生から声をかけられ、絆創膏を渡せなかった後、どう考えていたかと家族に聞いてみました。


その答えはシンプルなもので、
『持ってないものはしょうがなくない?”次からは持ち歩こうかな”と思った程度だよ』


私は、何とかしてあげなきゃいけないと考えて、ソワソワしながら公園にいる他の人に声をかけたりしました。


この行為は、悪いことではないけど、そこまでしてあげる理由は無いと思っていたみたいです。


これを聞いた時、”これが普通の感覚なのか”ということに気付かされました。


確かに、そこまでしてあげる理由はないのかもしれません。ましてや、コンビニまで走って購入してまで渡す理由など無いかもしれません。


けれど、私はこの先、何度同じことが起きたとしても絶対に同じ行動をすると思います。

行動の理由


私が今後も同じ行動をするのには、明確な理由があります。


私に声をかけてきた小学生は、怪我をした本人ではなく友達でした。つまり、友達のために声をかけたんです。


さらに、私以外の誰にも声を掛けに行かなかったので、恐らくかなり勇気を出して行動したはずです。


こんなにも友人思いの小学生が勇気を出して行動をしたのに、これに答えてあげられないのは大人として何だか嫌なんです。


近くのコンビニまではものの3分程度です。絆創膏など300円程度です。


たったこれだけの時間とお金を支払うことで、「勇気を出して良かった」という気持ちをこの子達に持たせてあげられる。


大人になっても、勇気を出して誰かのために動くことが出来る人で在り続けるため。


この子達に接する大人達が、人のために動ける今の良いところを無くさないように、答え続けることが必要だと思います。


もしあの時、あぁしてあげられなかったら、それを後悔するのは私です。


こういった小さな後悔の積み重ねが、私自身の心を曇らせてしまうことになると思います。


だからこそ、これは自己満足にすぎないと思っています。


けれど、明確な理由を持って実行する偽善は、曖昧な理由で何もしない善と比較すれば圧倒的に価値があると思います。


ちなみに、購入した絆創膏は私からでは無く、家族から渡しに行ってもらいました。


いくら声を掛けた後だとはいえ、女子小学生のところにおじさんが近づいていったら警戒するかもしれないですしね。


なので、私の行動に少し否定的だった家族に、渡した時に何を感じたかを聞いてみたんです。


「良いことしたな!という気持ちを得たと同時に、”ホッコリ”した。」


こんな感じ。
そんな感想だったので、悪いことでは無かったんだと思います。


大人としての責任。


声をかけられるという変な特性を持っているからこそ、この先も何度もこんなことに遭遇すると思います。


そんな時、特に相手が子どもであった場合には、今回の気づきと学びをしっかり生かして子供たちの未来に繋がる対応をしていこうと思います。

じゃ、またね!

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