シン・教員スタイル<979/1000>
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こんばんは。
人が一日に触れることができる情報の量は日に日に増え続けていて、一生の中で触れられる情報の量が処理できる量を超えているので、これ以上増えなくていいのにと思ってしまうコマリストです。
人が一日に触れる情報の量が江戸時代と比較してどのくらい増えているか考えたことはありますか?
どうやって調べたのかは分かりませんが、これを検索すると、こんな答えが返ってきます。
現代人が一日に触れる情報の量は、
江戸時代の1年分。
平安時代の一生分。
では、人間の処理能力は江戸時代と比較して365倍になっているか?
平安時代と比較して数万倍(365日×50年くらい?)になっているか?
当たり前ですが、そんなに飛躍的な進化を遂げているはずはありません。
ということは、明らかに人間一人が処理できる情報量を超えているのが現代社会。
そんな情報過多の中で生きながら、必要な情報を取捨選択していかなければいけないのが現代人というわけです。
今日の朝イチに、某小学校で先生方に向けて研修を実施してきたんですが、その研修を組みたてている中で、先生方に伝えるメッセージとして色んなものを検討していました。
そんな中で出てきたものの一つに、「情報知識には価値がない」という考え方の話があります。
元々、教員といえば、教科書に掲載されている情報知識を正しく伝達することが役割だと考える人が多かったと思います。
ところが、時代の変化と共にツールが進化し、今となっては「可処分時間」が多ければ多いほど取得できる情報量が多いという状況になりました。
こうなると、可処分時間の長さという点において、学生たちに全く歯が立たない。
つまり、教員は持っている情報量でマウントすることが出来ない(というか意味が無い)。
シン・教員として求められるのは、
①情報の取捨選択能力の身につけ方を正しく伝えること
②受け取った情報をどう処理するのかという考え方を伝えること
とまぁ、こんなことを事前に考えていたわけですが、実際に研修をしてみた結果、時間があまりにも足らなさすぎて事前に考えたことの8割は伝えずじまいです笑
だけど、せっかく考えて整理したので、noteを読んでくれているあなたのために!ここに残しておきます❤
いつもありがとうございます。
じゃ、またね〜!
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