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裸の王様と臣下たち

【ラジオ体操181日目】

こんばんは。
心理学や交渉術などコミュニケーションを磨いてきたので、白を黒だと信じ込ませる力を身につけた詐欺師の卵コマリストです。


今日は『常識の上にあるもの』というテーマで書いていきたいと思います。


私のnoteでは、「常識」をテーマにしたものが度々登場します。これには理由があって、私自身が常識という言葉が嫌いだから。


でね、noteの記事はもちろんですが、日常生活においても世の中の常識だったり、世間体だったり、一般的みたいな考え方はあまり大切にしません。


あくまでも私自身がどう感じ、考えて行動するのかということに主軸を置いているので、偏った意見なんかも割と多いというのは自覚しています。


でね、最近気づいたのが、私の考えが偏っていようとも、直接会話さえしてしまえば、その考えが正しいことであると認識させてしまう能力に長けているんじゃないかということ。


一見、良いことのようにも感じますが、非常に危険な状態だなと思ったので、忖度せずにダイレクトに指摘をしてくれる唯一の存在であり、心から尊敬している人にお願いごとをしてきました。


今日は、そんな私の危険な状態を客観的に捉えるためのお話です。

裸の王様を取り巻く環境

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皆さんはアンデルセン童話の中でもとても有名な「裸の王様」を御存じでしょうか。


愚か者には見えないという布を使った洋服を着た王様が、(詐欺師に騙されているとも知らずに)裸のままパレードで街中を歩き回ってしまうというお話ですね。


あの裸の王様のお話。
王様が愚か者であるように印象付けられている人も多いと思いますが、実は王様を取り巻く環境に問題があるんです。


詐欺師の「愚か者には見えない服」という言葉を聞いて、意地を張ってしまった王様。けれど、内心は不安しかなかったはずなんです。


この王様に、パレードを開催させるまで焚きつけたのは、他でもない臣下たちだったんです。


一人でも、「なんで裸なん?服着たほうがええで?」と言っていたら、裸のパレードが開かれることは無かった。


つまり、”そこに無いもの”を”存在するもの”として褒め称え、王様の不安を取り払った。本当の詐欺師は臣下たちなのでは!?というレベルの話なんです。


そして、私自身の現状がこれに結構近いなと思っているわけです。

進言の依頼

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こんなことを思い始めたのは、ここ最近色んな方と話をしている中で、「常識」がキーワードになることが多いから。


これは、何かのメッセージを伝えられているのではないかなと、冷静に考えてみたんです。


今の私の状況は、会社員ではなく、お客様とも対等以上の関係として会話をする状況です。


ということは、私が大きく間違っていたとしても、それを指摘してくれる人がいないんです。


そして、もともと常識という言葉が嫌いなので、そういったものをあえて避けるようにして自分はどう考えるのかを大切にしてきました。


勘の良い方ならお気づきかと思います。
私自身の考えがズレていた時、誰も指摘できないし、仮に私と会話してしまえば、それが(その方にとっても)正しいことであるかのように認識させられる。


一歩間違えば、新興宗教の教祖状態ですね。


ただし、常識を重んじるような愚かな生き方は、これから先もするつもりは毛頭ありません。


ではどうするかというと、「常識」という考え方を一つの知識としては持っておきつつも、自分がどう考えるのかを優先する。


つまり、知らないわけじゃないけれど、知った上で自ら選択するという状況を作ろうと思っているわけです。


そしてそのために絶対的に必要なのは、『私に意見できる人の存在』。


唯一、一人だけこの存在に該当する人がいますので、昨夜、直接本人にお願いをしてきました。


”私が常識はずれなことを抜かしている時は、「バーカ!」って教えて下さい。”


本人は笑いながらも快諾して頂けたので、私が裸の王様になることは未然に防止できそうです。


今日は、最近のコミュニケーションの中で私自身のことで気づきを得て、最悪の事態を避けるために行動したことについて書いてきました。


『裸の王様』状態は、社会人になると意外と身近にあると思います。自分自身がそうならないためにも、客観的に自分と向き合って、防止策を図ってみるのも良いと思いますよ。

じゃ、またね!

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