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\HappyBirthday/価値の再考<124/1000>

【ラジオ体操429日目】
『ニコチンレス生活150日目』

こんにちは。
価値とは何かということについて、色んな人の考えや意見を聞いてきたけれど、結局のところ価値って本人にはコントロールできないものだと気づいてしまったコマリストです。


今日は『価値は、他人が見出すもの』というテーマで書いていきたいと思います。


あなたの強みは何ですか?
あなたの会社の製品・サービスの価値とは?


この質問に、何年も悩まされているという方は少なくないと思います。


他社の製品やサービスと差別化をして、売上を伸ばさなければ・・。
自分の強みを生かして、ビジネスを飛躍させなければ・・。


これって、本当ですかね。


自分が商品やサービスを選択する時、相手から提示された『価値』を基準にしている事って意外と少ないと思います。


それよりも、口コミや、信頼する人からの紹介の方が信用できるし、そういったものが無ければ、”自分で”色々調べて見つけ出した何らかの根拠を持って購入を決める。


高額なものであるほど、この傾向は顕著ですよね。


今日は、結局価値って誘導することはできても、完全にコントロールできるものではないというお話です。


自分自身で反論を見つけたくて言語化しているので、皆さんからの反論コメントウェルカムです!

価値とは

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さて、あらためて考えてみたいのですが、価値とはいったい何なのか。


だいぶ昔のnoteの記事に、経営コンサルタントのY氏が提唱している考え方として、『価値とは、”ことば”で表すことができるもの』というものを紹介しました。


この記事を書いていた時には、この考え方が価値というものを完全に説明できていると勘違いをしていたように感じています。


とうのも、Y氏の考え方に出てくる”ことばで表す”という部分について、主語が誰なのかということが考えられていないんです。


自分自身が、『○○とは××という価値のあるものです』とことばで表せばこの○○に価値が付くかと言えばそんなことはないはず。


例えば、
『この壺は、有名な偉人が創作したもので、100万円以上の価値があるものです。今なら、この壺を100万円でお売りすることが出来ますが、いかがですか?』


この壺、買う人いないですよねw


けれど、この壺の価値は”歴史的な偉人が創作した”という言葉で表されているはず。


ということで、こういった怪しい商品は、外部の研究者、考古学者などの名前を使って価値の信用度を高めようとする。


信用度の高い個人や、より多くの個人といった”他人による価値の証明”があってはじめて、人はその価値を認識します。


もしもこの壺の販売者に悪意が無く、言葉で伝えている価値が本物だったとしても、”本人による価値の証明”では足りないということです。


ということで、価値とは何なのかという問いに対する答えとして、もう少し掘り下げて考えてみると、、。


価値とは、第三者によって”ことば”で表されたもの。となる。


つまり、商品サービスの売り手本人が、コントロールできるものではないということ。


もちろん、マーケティングによって買い手を含む第三者から認識される価値を誘導することはできます。


ただし、これもあくまで誘導であって操作ではありません。


結局のところ、どんな手を打ったとしても最終的に相手に届いた時にどう認識されるかという部分に関しては無力だということです。

誕生日は誰にとっての特別か

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実は、この『価値に対する考え方』について、あらためて考えさせられるきっかけになったのは、誕生日でした。


最近誕生日を迎えたコマさんと、こんな話をしたんです。


誕生日は、誰にとって特別な日なのか?


これ、正しい答えがあるわけではありません。


ただ、少なくとも生まれてきた本人は、誕生日のその当日、頑張ったわけではありません。


両親のうち、特に母親がものすごく頑張った結果、本人が生まれてきた。


で、毎年のように「おめでとう」と声をかけられて成長していく中で、いつの間にか本人の中でも特別な日となっていく。


となると、結局のところ本人にとっても特別な日であることは間違いないわけですが、恐らく両親にとって娘や息子の誕生日というのは最も特別であることが多い。


”自殺”という手段を選択することだってできる。
”事故”や”病気”で命を落とすこともある。


こういったこともなく、順当に年を重ねて成長していく我が子の誕生日に、親は感謝の気持ちすら感じることがあるとコマさんは仰いました。


その感謝の気持ちが子供側に伝わることがあるのか、伝える必要があるのかは分かりません。それこそ人によって価値観が分かれるところだと思います。


でね、この人と関わり、誕生日おめでとうと声をかける周りの人達にとっても、レベル差はありつつも”この人の誕生日が特別である”という状態なんだと思うんです。


さて、あらためて整理してみます。


誕生日は誰にとっての特別なのか?


この問いの答えを整理すると、
①両親
②本人
③家族
④友人、恋人、知人


そして、この「特別」という状態は、「価値がある」と言い換えることもできると思うんです。


では、この”価値の大きさ”は①~④の全員にとって等しいか?


恐らく一人一人、価値の大きさが違うと思います。
けれど、誕生日に何があったかというと、本人が生まれたという事実だけです。


この事実に、①~④のそれぞれの人たちがどんな意味付けをするかで、価値の大きさが変化する。


生まれた本人が「私の誕生日は特別なんです!!」と声高らかに訴えたところで、その価値は変化しない。


つまり、本人には価値をコントロールすることが出来ない。


こんな日常会話から、価値について真剣に考えさせてくれるコマさんの偉大さにいつもながら感謝と尊敬の気持ちを抱きつつ、最大の祝福を送りたい。


コマさん、誕生日おめでとう!

じゃ、またね!

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